ルンラルン。子供たちが雪遊びに出かけたので、孤独のグルメ(再放送)見ながらコーヒー飲む午後だよ、たのし。
昨夜は夜9時くらいから「捨てスイッチ」がONになってしまい、子供たちと一緒にあれやこれや仕分け。45リットル入りのごみ袋2つ分にもなりました。普段から、せっせせっと手放し活動に精を出しているつもりだったけれど、こうしてスイッチオンの状態で見渡してみると、まだまだ手放すモノが出てくるから不思議。ほんと不思議。
今回は、子供たちの過去の工作やらプリント類やらを一斉に処分。保育園の制服や指定のカバン、小学校1年生のときに使っていた黄色い帽子やら、「思い出系」を主に手放しました。
「子供たちの成長の記録」だと思って、納戸に置いておいたこれらの思い出系の品々。
母(わたし)の一存で捨てるわけにはいかないので、もとの持ち主である長女(小4)と次女(小2)に、取っておくか手放すかを一つずつ判断してもらったよ。
そしたらほんと…躊躇なく「これはもういらない」と、手放していく、手放していく。黄色い帽子も、保育園の制服も、あまたのプリント類も。ごみ袋にぽいぽいぽい。
あれ・・・? 君たちにとって大事な「思い出」のはずなのでは・・・?
あまりの潔い捨てっぷりに、ひるむ母。
でも・・・。
ふと、立ち止まって考えてみれば、これからなんだって挑戦できる、まっさらな「未来」しか持っていない小学生にとって、「保育園の思い出の品」なんて、執着に値する物では、ないのだな。
「成長の記録」だなんていって、振り返ったり執着したりしているのは、親だけなのだな。
彼らにとっては「成長の記録」としてのモノには、そんなに意味はないのだな。
それよりも、「いま」夢中になっているモノ(ピアノやおしゃれや漫画描き)、「いま」一緒にいて楽しい友達との時間、そういった「現在進行形」のモノこそ、意味があるのだな。
大きなごみ袋ふたつに、たっぷり詰まった「成長の記録」を前に、母は考えたよ。
「物を大切にする」って、どういうことなんだろうね?
役目を終えたモノたち(保育園の通園カバンや制服、黄色い帽子)を、箱に入れて大事にしまっておくことなのかな?
「子供たちが自立すること」「自分の力で人生を切り開く力を身につけること」が、子育ての目標だとするならば。
「思い出の品」を箱に入れて取っておくことは、子供たちにとって、そんなに意味のあることでは、ないのでしょう。
通園カバンや黄色い帽子、これらの物たちは、たしかに娘の人生の始まりの日々を、生活に寄り添って支えてくれた。人生の一時期、毎日のように身に着け、手入れし、そして成長とともに、娘たちの生活から「卒業」していった品々。
これから娘たちの人生で使うときが来るかといえば、それはない。
「物を大切にする」ってことは、その物に支えられた日々を土台にして、よりよい自分になるために、成長し続けること、なんじゃないかな。
「ありがとう、お世話になりました」と一つ一つの物たちに感謝して、そして手放していくこと。そうやって先に進んで、新しい物を得ていくこと。それが「成長」なんだと思う。
だから、娘たちが「もうバイバイ」と判断した物たちは、しまい込まずに手放すことにしました。母からも、感謝の気持ちを込めて。
今まで、ありがとう。
私は、先に進むね。
「物を大切にする」って、きっと、そういうこと。