収納しないブログ

持ち物を減らして収納術不要の暮らしを目指しています

ほとんど全部が「不要不急」、なのだけれども。

 考えてみれば、世の中の、ほぼ全てのものは「不要不急」に分類されるのではないでしょうか。

 生命の維持に不可欠なモノ、コトを「必要で、緊急」な事柄とするならば、身の回りのほぼ全てのものは「必要」でもないし、そんなに急いで手に入れるべきものではないのでしょう。

 手持ちの広辞苑(第5版。古い)で「緊急」を引くと、「事がさし迫って、対策などを急がなければならないこと」とあるよ。そんな事態、生活のなかでそうそう毎日、あるものではありませんよね。

 生きていくために最低限、必要なモノ…。「衣食住」でいえば、活動量に見合ったカロリーと栄養を摂取するぶんの食事、からだをケガや寒さから守るための衣類、雨や雪をしのぐ屋根と寝転がるスペースのある部屋、くらいでしょうか。社会インフラでいえば水道や電気、医療、そして公共交通かな? 学校ですら、新型ウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言で義務教育の小中が休校になるくらいだから、不要不急に分類されるものと捉えられるかもしれない。

 でも、だからこそ「不要不急」を大事にした暮らしをしたいと願うのです。だって、人生の楽しみの多くは、「不要不急」のなかにこそ、あると思うから。

 

コップに花を飾ること、おいしいお酒を飲むこと、音楽を聴くこと、チョコレートをたべること、1枚の白シャツを選ぶために洋服屋をはしごすること、架空の物語(小説)を読むこと、怖い話を聞くこと、夜中にむかしのアルバムを引っ張り出して思い出に浸ること、家で過ごす日に自分のためだけに口紅を塗ること、入浴剤を入れてゆっくり湯船につかって片付け計画を立てること、「鬼滅の刃」の映画を3回観に行くこと。「孤独のグルメ」の再放送を眺めながらセーターの毛玉を取ること。ブラジャーに「着け心地の良さ」を求めること。

これらはきっと、「不要不急」な事柄に、違いない。

 

でも、人生を愉快ですてきなものにしてくれているのは、間違いなくこれらの「不要不急な事柄」で、わたしはそれらが与えてくれる楽しみによって生かされている、とも思うのです。

音楽がなくても飢え死にはしないけれど、毛玉だらけのセーターでも凍え死にはしないけれど、「不要不急」をまったく取り除いた世界では、とても大事なこころの芯の部分がしぼんでしまう気がする。

愛すべき「不要不急」を、大事にしよう。

心から好きと思えるモノ、楽しいと思えるコトに、時間とお金と愛を注ごう。

肉体としての生命の維持にぜったいに必要なモノではなくたって、

健やかなこころの維持に、「不要不急」の物事は、とっても大事な役割を果たしている。

 

たとえば、冷えたお布団をぽかぽかに温めてくれる布団乾燥機だって。ぜんぜん必要でも緊急でもないけれど、親子の寝入りを快適にサポートしてくれる。

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アイリスオーヤマの「カラリエ」買いました☆冷えた足がじゅわわーって血行良くなる感じの瞬間が、たまらないね!

 

そういう小さい幸せを積み重ねていくしかない、と思うの。大事なことは、愛を注げる「不要不急」を、見極めること。「今の生活を愉快にしてくれるモノ」を選ぶこと。

生活を素敵にしてくれないモノは、それは単なるゴミ、なのです。