収納しないブログ

持ち物を減らして収納術不要の暮らしを目指す、ミニマル志向の30代。

「もったいない」と、つぶやく前に。

モノを手放す時、つまり捨てる時に躊躇してしまうのは

「モッタイナイ…」という意識が、胸の奥にあるからだよね。

 

モッタイナイ。MOTTAINAI!!

 

自分と家族にとって心地いい暮らしを築いていくために。

ここいらでひとつ、「もったいない」の意味を、きちんと把握しておこうじゃありませんか。

 

手持ちの電子辞書に入っている広辞苑(第五版。古い)で調べてみると、

「そのものの値打ちが生かされず無駄になること」

と、ある。

 

そう、「もったいない」とは、「値打ちか生かされず無駄になる」ことを指す。

決して、「モノを捨てること」を意味した言葉ではない。

 

その前提に立って考えてみれば。

例えば、「何年も袖を通さずに丸めたままクローゼットの奥に眠っているセーター」、衣類としての「そのものの値打ちが生かされず」、

誰にも着用されることなく「無駄になっている」。

もったいない!

これ、正しい用法ですよね。

 

「数年、袖を通していないセーターを捨てるなんて、もったいない」ということでは、ないのです。

「袖を通さないまま、セーターを放っておくなんて、もったいない」のです。

ややこしいけれど、違うのです。

 

モノを生かす、というのは、モノに「用途=使命」を与えることだと思うのです。

持ち物に、そのモノが果たすべき役割を与えず、そのモノが持つ機能を生かすこともなく、何年も何十年も、放っておく。

そんなの、モノに対して失礼だし、下手したら恨まれそうしょ。

 

「用途」は、そのモノによって違うから、

毎日、身に着けることで「価値が生かされる」衣類やアクセサリーもあれば、

年に数回だけ登場する冠婚葬祭用のパールネックレスもある。

そして、ただ戸棚に飾っておくだけで心を和ませてくれる家族の写真もある。

用意すること自体が安心感につながる防災用品も。

役割は使用頻度は十人十色(十物十色か?)でも、それぞれに大事な役割がある。

 

家の中に、しっかりとそのモノの居場所(置き場所)をつくること。

そして、そのモノにきちんと「用途=使命」を、与えること。

それが、モノにとっての「尊厳ある在り方」なのだと思う。

その尊厳を失ったとき、モノは「もったいない」状態になるのでしょう。

本当に、もったいない。

 

さて。

モノにはそれぞれ異なる用途があるように、

そのモノに与えられた「寿命」も、それぞれ違います。

ゆたたんの電子辞書、とっても、長寿。

なんてったって、私が高校1年生の時からずーっと現役。

f:id:yuringo738:20210105203011j:plain

父に頼んで、地元の小さな電気店(閉店してしまった…)で買ってもらったもの。

機能がシンプルなためか、意外と故障しない。

いまも仕事場で使っています。

 

裏面の電池入れの蓋は、相当、ぼろぼろになってきているけれど…

セロテープで補修している。

f:id:yuringo738:20210105203204j:plain

乾電池のお尻が、見えています…。

 

ぼろくても。古くても。

モノに「役割」を与えること。

その役割に感謝して、モノに「尊厳」を与えること。

私は、そのことを大事にしていきたい。

 

「もったいない」と呟き続けた末に、役割と尊厳を失った大量のモノが溢れた家なんて、恐ろしいから。

役割を終えたモノには、きちんと感謝の言葉を伝える。

そして、潔く手放していく。