収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です
モノに溢れた実家を思う時、「もう使わない、使えないモノを捨てずにしまい込んでしまう心理は何なのだろう」と考えます。
根底にあるのは「モノを粗末にするとバチが当たる」との思想でしょう。
あるいは「呪い」といってもいいような刷り込み。
「バチ(罰)」をを愛用の広辞苑(第五版)で引くと
①神仏が、人の悪行を罰して、こらすこと
②悪事のむくい。たたり。
と出てきます。
これを踏まえ、改めて考えてみます。
壊れて機能性を失ったモノやライフステージの変化により不要になったモノを手放すことは、罰を受けなければいけない「悪事」なのでしょうか。
逆に、壊れたり不要になったりして「二度と使う見込みのないモノ」を捨てずに保管することは「善行」なのでしょうか。
機能性も必要性も失った残骸を、ただただ捨てずに積み上げておくことが、正しい在り方なのでしょうか。
自身のライフステージの変化、成長あるいは老化に伴って、モノとの付き合い方も変化していきます。「捨てる」ことは「買う」こととセットです。手に入れたなら、いつか失う日が来ることは当然のことでしょう。
お金を払って買ったコーヒーは、飲めばなくなります。「消費」って、つまりそういうことでしょ。
モノがその役目を終えたなら、
持ち主は胸を張って手放して良いと思います。
バチは当たりません。
自由に捨てられる、ってわりと最上級の幸せだと思ってる▽
「もったいない」も、呪いになる▽
「壊れるまで使う」も、呪いかも▽
怖がらずに、捨てましょう。
明日も愉快な人生を〜