モノが捨てられない、ゆえにモノに溢れた家で生まれ育った収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です。
アタイが「自分の家ってモノが多過ぎないか…? しかも使っていない(ゴミ同然の)モノも多過ぎないか…?」と気づいたのは、小学生になって行動範囲が広がり、近所の友達の家に遊びに行くようになってから。
散らかった自分の家に対する羞恥心が膨らんだ私は、子供ながらに「片付け」を始めた。
使っていないモノだろうと壊れているモノだろうと、大人の許可なしに勝手に捨てることはできなかったので、当時の「片付け」は、雑多に置かれた&積まれた&押し込まれたモノたちを用途ごとに選別し、収納スペースに「できるだけ綺麗に並べ直す」ことだけだった。
当然、モノに対して本棚やカラーボックスといった収納スペースは全く足りなかったので、収納に収まりきらないモノをどうにかして「収める」ために、私は家の中に積まれたミカンの空き箱(これまた大量にあった)を組み合わせ、貧乏臭さの極みのような「オリジナル収納スペース」を手作りする始末だった。
そんな生活感丸出しのミカン箱収納に、保育園で毎月配られたキンダーブック(3人兄弟だったので毎月3冊届いた。1年で計12冊)を背の高さ順に並べることに精を出した。もう二度と開くことはないだろう保育園児向けの絵本だったけれど、「もう読まない本」であれろうと子供が勝手に捨てることは許されなかった。
不要なモノを手放さない「片付け」は「片付け」とはいえず、モノの量が増えるに従って、ボロい手作りみかん箱収納も増えていくだけだった。
大人になって、
「捨てる自由」がある幸せをしみじみと味わう。
週3回の燃えるゴミ収集日には、特に。
「自分の判断でモノを捨てられる自由」があるだけで、
片付けはなんてシンプルに手軽になることか。
使わないモノ、過剰なモノを手放せば、四隅にカビが生えたみかん箱で収納スペースを増築する必要もない。お金を出して、たくさんの収納グッズを買い揃える必要もない。
自分の意思で捨てられる、という自由を噛み締めながら食べるプリンは最高においしいの(固めが好きです)
明日も愉快な人生を〜