過剰な収納を憎んで、人を憎まず。収納しない系お片付けブロガー優多(ゆた)です。
実父の誕生日が近いので、3連休は娘たちを連れてプレゼントを届けに行ってきました。
過去記事で何度も触れているように、私の実家は祖父母の代から蓄積された「使わないモノたち」で溢れかえった、散らかった家。
誕生日プレゼントとはいえ「形に残るモノ」はさらに実家の「不用品」を増やしてしまう結果にしかならないと考え、父が好みそうな食べ物にしました(高級タケノコの缶入りスープというニッチなチョイス)。
いや〜、しかし、久々に実家に足を踏み入れて思う。
改めてモノが多い。多すぎる。
居間の茶箪笥に書類がうず高く積まれて埃をかぶっている。
廊下には空のみかん箱や誰のものかわからない衣類(先祖のものもありそう)が絶妙なバランスで積まれている。
キッチンの床には、収納に収まりきらない古い鍋(一部は取っ手が取れている)や割れたプラスチックのざるが積み重ねられている。
書き連ねていくと、もはや「片付いていない」レベルではなく「ごみ屋敷」に近いのかもしれない。
父と母が不都合を感じる暮らしているならば、すでに家を出た私が口を挟む余地はない。ないのだけれど。
NHKで随時、放送されている「遺品部屋」特集を食い入るように見ている私としては、いつか自分ごとになるであろう「実家の片付け」を想像して焦りを禁じ得ないのです。
父や母から「家を片付けたいから手伝って」と言われたなら、
いつでも力になる準備はあるのに。
モノを減らした暮らしは、維持管理が楽ちんで掃除の手間もかからないから、
老親にもぜひ取り入れてほしい暮らし方なのだが。
親とはいえ、「異なる価値観を持つ他者」に無理強いすることはできません。
もどかしいけれど。
私は私で、親は親で、子供は子供で。
それぞれの価値観で、暮らしを選んでいくしかないのだな。
明日も愉快な人生を〜。