「暮らしを選ぶ自由」を手放してはいけないよ。収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です。
人口減に伴う人手不足、そして各業界で進む「働き方改革」によって「片付けたくても片付けられない事態」が遠くない未来にやってくると予想しているアタイ▽
「片付けたい」と思った時には、もう手遅れになっているかもしれません。
これまでは「自分とは異なる考え方を持った両親」の意向を尊重し、「モノで溢れた実家」については関与しない方針を貫いてきましたが…いよいよ、このまま放っておくことはできないだろう…と真剣に考え始めています。
お盆に帰省した頃から、折に触れ「モノを減らそう」「片付けよう」と伝えて、手伝いを申し出ています。ですが、これがなかなか進みません。
例えば、キッチン。
要不要を仕分けるために鍋を出してみると、次から次へと出てくるエンドレス鍋。そして大小様々な大きさの、これまたエンドレス鍋のフタ。謙遜ではなくおそらく100個はあると思う。奥の押し入れにも、曽祖父母&祖父母の代に使われていたと思われる大量の古い鍋が保管されています。取っ手やツマミが取れているものも多くある。ところどころに、これまた大量のザルやボウル。子どもが家を出た今、こんなに大量の鍋やザルを家の中に置いておく意味はないのです。だけど、彼らは「捨てられない」。壊れていても、数十年という単位で使っていなくても、「捨てることは悪いこと」という感覚が染み付いている。
鍋だけでこの有様なので、キッチン全体、リビング、寝室、物置、玄関、実家の隅から隅までモノを仕分けて不用品を捨てて…を完了するには途方もない時間がかかるのは確実です。
大量のモノに溢れた家で、もし介護が必要な状態になったらどうなるのだろう?地震が来たら?不安がむくむくと膨らみます。だけど、私とは異なる価値観を持つ両親は、特に不安を抱くこともなくモノの溢れた家で楽しそうに暮らしている。彼らの選んだ暮らしなので、それはそれで良いのだけれど。
私だって、生まれた実家を愛したい。
だけど。
私はモノの少ない家で、「片付け」なんかに忙殺されずに暮らしていたい。
実家から自分の家に戻ってくると、やっぱり心底ほっとしてしまう自分がいます。
そして「暮らしを選ぶ自由」を手放したくないと強く思う。
もう使わないモノを自分の判断で自由に捨てたり、経済が許す範囲で好きなモノを買ったりする自由。
そのための基盤を作るために働いていたいと思うし、経済的にも精神的にも自立していたいという気持ちを強くする。
中学卒業と同時に実家を離れて、20年以上が経ちました。今更、「モノに溢れた実家」に心を乱される日が来てしまうとは。
心配の種を抱えつつ、
明日も愉快な人生を〜