ドラッグストアの棚、まだ「紙類」の品薄が目立ちます。
マスク、消毒液はいわずもがな。
今日は代休のため、臨時休校となっている小学生の娘2人と一緒に家で過ごしています。昨日の雨がきれいに上がり、晴れ間がのぞく穏やかな水曜日。
新年度に向けて新調した仕事用のカバンとパンプスに、防水スプレーをかけました。
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「自粛ムード」が日本全体を覆っている、こんな時だからこそ、
新しい服や小物は、気持ちを明るくしてくれる。
さて、再び「コロナ騒動」に関連した、ワーキングミニマリストの思いをつづります。
SNSで広がっている「デマ」についてです。
「コロナは26~27度で死ぬ」
「お湯を飲むと予防できる」
「ショウガをたくさん食べるといい」…
私はツイッターはやっていないのですが、ママ友達からのLINEで上記のような内容が「情報共有します」と届きました。
ちょっと考えれば、体温より低い温度でウイルスが死ぬのは変な話。
お湯を飲んで水分を取ることや、体を温めるショウガなどの薬味を食べるのは、日々の健康管理のひとつとして取り入れるのは悪くないことだと思うけれど、コロナウイルス感染症を予防する科学的な根拠はない。
そして、この「情報」をLINEで「共有」しようとした彼女は、
おそらく「デマを拡散しよう」なんて1ミリも思っていないのだよね。
子供を持つ親として、「100%の善意」で、LINEでシェアしたのだと思う。
この「善意」・・・本当に、厄介なもの。
「よかれ」と思ってしたことが、結果的には「デマを拡散」したことになってしまう。
社会を混乱される原因にもなりかねないし、LINEを送った相手からは「リテラシーのない人」と思われてしまう可能性も高い。
自分が受け取った情報を、一度立ち止まって「情報源は、どこか」「科学的な根拠があるのか、どうか」と考えることが、大切だと思う。
そして、オシリを拭く紙や鼻をかむ紙がなくなることを心配し、
大量に買いだめた人たちも、悪意からの行動ではないのだと思う。
「なくなったら、家族が困る」・・・こんな風に考えて、離れて住む子供や親せきのために、「必要以上の量を」「念のために」買ったという人も多いのだと思う。
それは合理的な行動ではないけれど、「やさしさ」ともいえるし「思いやり」ともいえる。この善意にもとづく行動は、本当に全く、合理的ではないけれどね。
「善意」の厄介さについての過去記事↓
「立ち止まって考える」ことは、本当に困難な状況になった時に、自分と家族を守ることにつながると思う。
「本当に困難な状況になった時」を思うのに、今日ほど適した日はない、と思う。
「3・11」
信じられる情報は、何なのか?
自分の命と、家族の命を守るために、何をするべきなのか?
得体のしれない「不安」が社会を覆っているとき、
出所のわからない「デマ」は、人を不安にさせる。
「不安」は、人を狂暴にするし、不合理な行動に走らせる。
確かな情報源を見極めて、冷静に行動すること。
「不安」な時だからこそ、一歩立ち止まって考える知性が大切になってくる。
5年後、10年後、
この「コロナ騒動」も、過去の「あの時」として振り返る日が来ると思う。
デマ、買い占め、転売。
右往左往したこの状況を、数年後にどんな気持ちで眺めることになるのかな。
「愚かな行動」は、悪意からだけではなく「善意」からも生まれるということ。
心に刻んでおきたい。と、思う。
そんな今年の「3・11」。