夜なべをして手袋編むだけが愛情じゃないと思う収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です。
「時間と手間をかけること」を「丁寧な仕事」だと勘違いし始めるとツライ、という話。
あなたの周りにもいませんか…
「(無駄な)工程を増やすことを善」とし、「より多くの時間をかけることでより良い成果が上げられる」と信じて疑わない困った人が…。
(周到な根回し、という聞こえの良い名目で)「決済のための手順」を増やして作業着手までの工程を煩雑にしてみたり、時間をかけることでプラスアルファの価値が生まれると信じて(安易に)「締め切りを延ばす」選択をしてみたり。
インプットを増やせば、アウトプットが増えるわけではないでしょう。
無駄な工程を増やすことを善、とする考え方は、片付けの世界(なにそれ)におけるアレに似ていると思うの。かつて収納術の雄と称された、「100均の突っ張り棒を組み合わせて作った即席の棚」。
洗濯機置き場の壁と壁の間に突っ張らせたりしてたよね。
耐荷重が微妙なので、上に乗せた洗剤ボトルや日用品ストックの重さに耐えきれずに、よりによって家族全員が就寝中の深夜に音を立てて崩れ落ちたりしてさ。
手間ひまかけた「収納術」が、必ずしも理想の暮らしに繋がらないのと同じように、
仕事上で無駄な工程を増やすことは、必ずしも成果には結びつかないのだよ。
ミニチュアフードのように「可愛い無駄」は愛していたいけどね。
「丁寧な仕事」だのなんだの講釈をぶつ前に、まずは「無駄な仕事、及び仕事ともいえない作業」をとことん減らすこと。話はそれからだと思うんだZE…
そして、「暮らしやすい家づくり」などと称して隙間を見るや突っ張り棒を張り巡らせ収納スペースと増設する前に、増えすぎた洗剤ボトルを減らすことを考える方が有効だと思うんだZE…。
「減らす」ことで得られる価値って、「増やす」ことから得られる価値よりも大きいと思うんだ。
明日も愉快な人生を〜。