「モノを捨てられない人(家の中にためこんでしまう人)は、心の優しい人」なる言説を、かつて片付け関連の書籍か雑誌かで目にしたことがあり、なるほどなあと思った覚えがあります。
他者からの贈り物…衣類であれ日用品であれ食料品であれ…好みに合う合わないにかかわらず…「相手が厚意で贈ってくれたモノ」に対して義理を感じ、捨てられない。好みに合わないモノでさえも、手放すことに罪悪感を覚え、「永遠に使わない・食べないだろう」と思われる品を押し入れや冷蔵庫の奥にしまってしまう。
優しい人、尊いです。
他者の気持ちを大切にする、心の優しい人だと思います。
そして、贈り物もわりと躊躇なく手放してしまう私は、ともすると冷たい人間なのかもしれません。過去記事参照↓
でも。でもさ。
贈ってくれた相手を思うように、自分の「快・不快」についても、真剣に向き合うことが大事と思うのよ。そして、どちらかといえば自分の「快・不快」を優先しても良いんじゃない?と、思うのよ。
私の捨て癖を知っていて、「アナタに物をあげても2週間後に捨てるでしょ」とか言って、お祝いのときには花やら食べ物やらを選んでくれる友人、好き。可愛いけれども実用性のない雑貨や置物やキャンドルを贈ってこない友人、好き。
すみっこぐらしも、好き…。
貰ったものは使うか使わないか、好むか好まないかにかかわらず、家の中に永久に保管しておく人を「優しい人」と呼ぶのなら、私は「優しくない人」として生きる道を選ぼう。
他者の気持ちやら立場やらを優先しすぎると、いろいろなものがちょっとずつ削り取られていくよ。お金も場所も、そして時間も。
なにが言いたいかというと…
「他者からのプレゼントも、躊躇なく手放してだいじょぶです」ってことです。
贈ってくれた行為に対しての「ありがとう」を伝えたら、そこで「贈答」というコミュニケーションは終了しているのです。
「モノに縛られないでだいじょぶです」ってことです。
もうすぐ、師走。
新しい年まで、あと1か月。
自分の軸を優先して、手放したり買ったり修理したり譲ったり減らしたり増やしたり、悔いのない2021年を過ごしたいと思う。
そんな、雨の金曜日。