いろいろなものを手放してきた。
洋服もアクセサリーも写真も手紙も、36年間の人生で「得てきたもの」全てをそのまま保管していたなら、収納スペースがいくつあっても足りないから。「今」の自分に必要なものを見極めて、必要でなくなったなら、感謝の気持ちを込めて手放す。そして、安易に物を買ったり貰ったりせずに、必要なものかどうかをきちんと見極めて家の中に入れる-。
このサイクルを、人生の中でくるくると回していくことが大事、と思って、暮らしている。
だから、私は、誰かからいただいた「プレゼント」も、時期が来たら、手放していく。
友達でも、家族でも、恋人でも。
大切な人からもらった「プレゼント」って、嬉しいよね。
宝物のように、心をぽかぽか温めてくれる、贈り物。
使わなくなっても、その物がこの世に存在してくれるだけで、生きる力になる物って、確かにある。例えば、子どもが初めて描いてくれた似顔絵とか、母の日の手紙とかね。
一方で、「期限」が来たら手放してもいい贈り物、というのも存在する。
「プレゼントだから、捨てられない」という感覚が、私にはよく分からなくて、誰かからの贈り物だろうが、自分で買ったものだろうが、物と私との「蜜月」ともいえる幸せな期間が過ぎ去ったなら、潔く「卒業」するのが健全な姿だと思っている。
「もう使わないな」「趣味に合わなくなったな」と心の隅に重苦しい気持ちを抱えながら、物をいつまでも抱えておくのは、物にとっても人間にとっても幸せな状態ではないと思うから。
プレゼントって、コミュニケ-ションの手段の一つに過ぎないと思う。
「贈り物を選んで」「相手に届けて」「貰った側が、相手に感謝の言葉を伝える」という、一連のコミュニケーション。貰った側が、贈った側に「ありがとう」の言葉を伝えた時点で、このコミュニケーションは完結している。
例えば、プレゼントで洋服を贈った側が後日、「着てくれている?」なんて相手に聞くのはマナー違反。「贈って、受け取った」時点でコミュニケーションは終わっているのだから、貰った側がその物とどう付き合うか、使うか手放すかは、贈った側が介入する事案ではないのです。
だいじなのは物を溜め込むことじゃなくて、物と幸せな時間を過ごすこと。
その期間の長短は問題ではない、と思うのです。