「おはよう」と言えば「おはよう」と
こたえる人のいる、あたたかさ。
昨日の夜、スーパーで2割引きになったイナダの刺身を買って帰ろうとしたら、駐車場にオレンジ色の軽自動車が止まっていたのです。
ふと、その車の後部座席に目をやると、背面(後続車側)を向くようにして左右のヘッドレストに「般若の面」が引っかけてある。思わず「ヒっ」と声を上げそうになったよ。
こわ。
あれでしょうか、はやりの「あおり運転」対策なのでしょうか?
後続車に「おらおら般若だぜ、あおったりしてくるんじゃねーぞ」みたいな威嚇なのでしょうか。
車体のポップなオレンジ色と相まって、不気味さ増す増す。
とはいえ「あおり運転」対策なのだとしたら、むしろ変な車に絡まれる可能性もあるのでは…などと無用な心配をしながら帰宅しました。もしかしたら純粋な趣味で般若の面を車内に飾っているだけなのかもしれない。
モノは自分で勝手に動いたり家の中に入ってきたりしないから、
「そのモノが、その場所にある」ということの背景には、必ず「人間」の意図と行動がある。
自分のモノ、他者のモノに限らず、「どうしてこのモノは、ここにあるのか?」を考えることは、心の内側を覗き込むようで、興味深い。
↑3月になってもリビングの壁にかかっている、このクリスマス用リースにも
「かわいいし気に入っているし見飽きるまで飾っておけばいーじゃん」という持ち主(私)の意図と行動がある。ずぼらともいえる。
さて、般若の面とは別に「どうして、このモノは、ここにある?」を考えた例が、最近、もう一つありました。
我が家のリビングに面した小さい庭に、家族のだれも買った覚えのない・食べた覚えのない「コンビニおにぎりの包装ビニール」が落ちていたのです。
風が強い日に、どこかから飛んできて落ちたのか? それとも、誰かが家の前にわざわざ捨てていったのか?
外に出て拾ってみると、包装ビニールにはおいしそうな焼き魚の写真が印刷されており、大きな字で「鮭ハラス」と書いてありました。
この鮭ハラスのおにぎりを買った人は、自分が食べた後の包装ビニールが、36歳2児の母に拾われて、こんな風にブログで紹介されることになるだなんて想像していなかっただろうな。
自分の家の庭に不当にゴミが落ちていたのは不快だけれども、「どうしてYOUは、ここに?」を考え始めると、「コンビニでおにぎりを買い、そしてその包装ビニールを捨てた人」と「包装ビニールがごみとなり、捨てられるまでの過程」への想像が募っていく。
勝手なイメージでは「大学生の男の子が駅前のコンビニで買ったおにぎりを電車内で食べた。自宅(実家住まい)に帰って、キッチンに置かれていた、すでにごみがぱんぱんに詰め込まれた可燃ごみの指定袋(有料)に包装ビニールを突っ込んだ。翌朝、大学生の母親が口を縛ってごみステーションに出したが、縛り方が甘く、自宅の玄関からごみステーションに持っていくまでの間に、包装ビニールが落ちてしまった。母親はそれを拾おうとしたが、たまたま風が強い日で、手を伸ばす間もなく空へと舞い上がってしまった。包装ビニールは強風に背を押されるように町内を浮遊し、流れ、流れて、36歳2児の母(片付けをテーマにしたブログを運営)が住む家の庭に落ちた」というストーリー。
「そのモノが、その場所にある」ということの背景には、必ず「人間」の意図と行動がある。
般若の面も、おにぎりの包装ビニールも。形あるモノが、ある場所に置かれている、ということの背景には、「そのモノを手に入れ、そして手放した人」のストーリーが、必ずある。
私の持ち物にも、あなたの持ち物にも。