贅沢したい日はバターをたくさん食べるのが良いと思ってる。
収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です
ああ贅沢がしたい。
手元には、水曜日に生協の宅配で届いたあんずジャムありけり。
冷蔵庫を覗いてみれば、よつ葉の有塩バターも未開封のままありけり。
贅沢に必要な素材は整いました。
切ったパンに、バターとジャムを適当にのせれば贅沢は完成します▽
甘くてしょっぱいバターは幸せの味。
パンとバターに用いる動詞は「塗る」ではなく、「つける」か「のせる」にしたいものです。
「バターは塗るものではなく、つけるもの」だと心に刻むきっかけになった文章があります。
江國香織さんのエッセイ「贅沢なかたまり」です▽
角川文庫「泣く大人」に収録されています▽
レーズンバターを目当てにバーへ行くほど、バターが好きな江國香織さん。
表題の「贅沢なかたまり」とは、つまりバターのことです。エッセイでは「バターくらい純粋に贅沢を感じる食べ物もないように思う」と言い切っています。
子供のころ、家族でレストランにいくとき、私のいちばんの楽しみはバターだった。銀色の器にうやうやしく並んだ、まるいバター。私はそれを、バタナイフにつきさしてそのまま食べた(略)あのバターは、私の身体をつくったと思う。人は、その人がそれまでに食べてきたものでできている。
(贅沢なかたまり/角川文庫「泣く大人」17頁より引用)
それまでに食べてきたもので人の身体がつくられるのであれば、ちゃんと贅沢をして日々幸福な食事を重ねる必要があるでしょう。
もちろんここで言う「贅沢」とは過剰に高価だったり珍しかったりする料理を指すものではありません。ちゃんと選んで、ちゃんと食べる、ということです。
贅沢とバターを愛する皆さまには必ず読んでほしい一編です。
ちなみに、バターとあんずジャムの組み合わせもこのエッセイで言及されています。
カロリーなどという軟弱な考えはふり払って、贅沢なかたまりを食べる愉快なおばさんになりたいと思います。