収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です
弊ブログに殆ど登場しない、だけどでもしかしそこに確かに存在する、夫の話をしてみるよ。
夫と私は田舎の中学校の同級生。中学1年で同じクラスになって、一緒に級長&副級長をつとめた仲です。いろいろあって高校1年から付き合い始め、23歳で結婚しました。
12歳の頃からお互いを知っているって、なかなかです。
現在ふたりとも39歳、知り合って27年になります。中学の卒業アルバムを開けば、同じクラスのページに夫も私も掲載されているというちょっとグロテスクな有様です。
30年近く一緒にいられた理由の一つに、お互いの「根っこが似ている」ことがあるでしょう。
閉塞した地元の空気感も、でもだからこその安心感も、隣近所との距離感が近すぎる故の息苦しさも、でもだからこその馴れ合いの心地よさも、肌感覚として共有できている。
その上で、「不真面目がカッコイイ、真面目はダサい」といったスクールカースト上位の生徒たちのステレオタイプな価値観に与せず、かといって体制側(学校)におもねるわけでもなく、マイペースに勉強しタバコも吸わず酒も飲まず、制服を適正に着用する「普通」の中学生だった私たち。
その「普通さ」こそが、今も私が夫を好もしく感じる一番の要素です。
中学生の頃、普段は教師に反発して頻繁に教室を飛び出している不良の生徒たちが、異様に団結して熱狂する「体育祭」が苦手でした。反発の対象である体制側が用意した安易なイベントに乗っかって、狭い世界でグループつくって盛り上がって、泣いたり大声出したり興奮したりするのが苦手でした。
応援団に所属する派手なグループが盛り上がる中、私と夫はパネル制作チームに所属し、ひっそりと板に絵の具を塗って過ごしていました。
集団における「熱量の低さ」が、私と夫は昔から似ていたように思います。
その「熱量の低さ」こそが、長いあいだ一緒にいても疲れない要因かなと思っています。
私は日常を、過剰な浮き沈みのない、安定した熱量で穏やかに過ごしていたい。
これからも熱量を低く保ち、大きな声を出さずに過ごしていたい。
結婚生活における「経済的に自立した関係」の重要さを記した過去記事もご参照ください▽
「面倒くさくない」って、生活を共にする上での必要十分条件だよね。
明日も愉快な人生を〜