収納しないブログ

持ち物を減らして収納術不要の暮らしを目指しています

「コロナ買い占め騒動」で、「不安感情」と持ち物の関係を考える

衝撃の光景が、我が家の近くのドラッグストアでも発生しておりました。

トイレットペーパー、ティッシュペーパーの買い占め。

さらには生理用品、キッチンペーパーの類まで品薄に。

ママ友のグループラインでは、小さな子供を持つお母さんたちが

「必要なモノが手に入らない」「どこに行ってもトレペがない」と悲痛な声を上げていました。

そんな中。TVには、トレぺを求めてレジに列をなす人たちの姿。

今、切実にその品物を必要としている人たちが、デマに流されての「買い占め」のせいで、本当に本当に困っている。

ドラッグストアにトレぺがない、ティッシュもない。

本当に異常な光景です。

我が家のストックを点検。残り11ロール。

「持ち物をできるだけ減らして収納術不要の暮らしを目指す」を信条としている、ゆたたん家。トイレットペーパーは基本、「残り3ロールになったら買う」という非常にギリギリな感じで買い足しており、この品薄が長期に渡ると在庫切れしてしまう。

残りはいくつあるのか、点検しました。

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まず、トイレ内の収納棚に3つ。

 

クローゼット上の、茶色いボックス(トレぺの在庫入れ)も、出してみる。

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ひい、ふう、みい・・・。ここには、残りが8個。

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トイレ内の在庫を含めて、

残りは11ロール。万が一に備えて、家族4人、大切に分け合って使おう。

繰り返しますが、トイレットペーパーの供給が止まるというのは「デマ」。

がらがらの棚を見ると焦ってしまいそうになるけれど、

過剰な買い占め行為がなければ、きちんと必要量が供給されるといのこと。

自分の家の「必要十分量」を見極めて、必要以上に心を乱されることなく

「軸」をしっかり持って、生活していこう。

「買い占め」に走る人が抱える「不安感情」を思う。

子供のころ、社会の教科書で見た「オイルショック」の光景を思い出す。トイレットペーパーを買うため、店に殺到する人々。

数十年たっても、人間の思考と行動って、そんなに変わらないらしい。

根底にあるのは「不安感情」だろう。

「手に入らなくなる」ことに対する、不安。

不確実な情報に惑わされて、不合理な行動に駆り立てられる。

分け合えば足りるものが、足りなくなる。社会全体が混乱する。

デマを信じて買い占めてしまう人の心の中には、きっとたくさんの「不安」があるのだと思う。

でも、ちょっと立ち止まって考えたい。

必要以上のモノを自分が「確保」してしまうことで、

本当に必要な人のもとへ、その品物が届かなくなってしまう。

例えば、本当にトイレットペーパーが品薄になる状況が生じた場合、

「在庫がひとつもなくなって困っているご近所さん」がいる中で、

「うちは幸運にも大量にトイレットペーパーを確保できたから、余裕だワ」と

にこにこしながらオシリを拭いて、それで幸せなのかい?

ちがうでしょ。

どんなに大量にモノをため込んだところで、心の奥にある「不安」は解消されないのだと思う。

「モノ」に対する執着がある限り、いろいろなモノを手当たり次第に家に置いておいたって、「失うこと」「足りなくなること」への不安は、減るどころか増えていくのではないでしょうか。

「買い占め騒動」の心理は、「モノの持ち方」や「お片付け」にも通じる部分があるなあと、しみじみ思うのです。

「必要十分」を知って、どーんと構えていられる人は、強い。

「正確な情報」と「必要な量」を見極める、知性を持ちたい。

「上から目線」で書いてしまっていますが、

在庫を持たない「ミニマリスト」は、買い占めに弱い。

棚がらがらのまま、11ロールを使い切ったら、どうするか。

古いバスタオルを小さく切って、「使い捨てのオシリ拭き布」にすればいいや。

ないなら、ないで、何とかなるもんよ。

 

そして、何度も繰り返すように「トイレットペーパーの供給が止まる」は、デマ。

「正確な情報」と、自分と家族にとって「必要な量」を見極める、知性を持ちたい。