「スポーツには人を感動させる力がある」という言説、間違っているとは言わないけれど、正しくはないよね。正確には「スポーツで感動する人もいる」だよね。
収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です
パリ五輪が開幕しましたね。
体育の授業をはじめ、水泳も村民運動会も親子バレー大会もスポーツにまつわる過去には苦い思い出しかないアタイ。テレビジョンを筆頭に「スポーツマンシップ最高に万歳」といった雰囲気が醸成させる五輪期間は、自然と言葉数が少なくなります。
スポーツ至上主義には苦杯を舐めさせられてきました。
クラスメイト同士で敵味方に分かれ、わざわざ体育館でボールをぶつけ合って勝敗を決めるくらいなら、教室でジャンケン大会でもひらけばいいと提案して顰蹙を買ったアタイ。
スポーツマンシップの欠如した薄情な人間と思われていた節があります。
しかし今こそ私は記します。「スポーツマンシップ」が苦手だと。
ウィキべディアによるとスポーツマンシップとは「スポーツを起点とした相手に対する思いやり、ないしは一個人として正しい行い全ての総称」とのこと。
「正しい行い」なんて、誰がジャッジできるのでしょう。
曖昧模糊としたスポーツマンシップの世界。
「勝敗決めたいなら、平和にジャンケン大会をやれ」と提案すると白い目で見られる世界。
ドリブルのできないアタイにボールを持って走らせ、転んだ瞬間に容赦無くドッヂボールをぶつけてくる世界。
「スポーツには人を感動させる力がある」というのなら、
「ポン・デ・リング(黒糖)には人を感動させる力がある」も正であるといえるし、
「ポッサムキムチには人を感動させる力がある」ともいえるでしょう。
スポーツを愛する方々の熱狂を遠目に眺め、アタイはNetflixで「セーヌ川の水面の下に」を再視聴します。
明日も愉快な人生を〜