収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です
「勝てそうな場所で勝負する」を心に刻んで生きています。
裏を返せば負けそうな場合は勝負しない、ということです。
苦手は苦手のまま放っておく、ということです。
例えば、バスケットボールのドリブル。
「苦手なこと」で真っ先に思いつくのが、これです。
ボールを手で地面に突きながら走る、あれです。大変苦手な動作です。
ボールを突く手とバウンドしたボールが戻ってくる速さのタイミングが合わないし、うっかりするとボールのやつは進行方向とは別の方向にボーンと跳ねていくし、そもそも硬くて手のひらが痛いし、突き指も怖いし、良いことないって感じです。
簡潔にいうと運動神経がないので球技もマットも鉄棒も水泳もスキーも全般がダメなのですが、特に体育のドリブルはキツかった。
壊滅的にドリブルができない私へクラスメートが容赦無く冷たい視線を投げて寄越します…チーム競技では自陣にポンコツが混じると命取りですからね。小学生の体育の授業とはいえ、(私を除く)子供たちはみんな勝負に真剣でした。
そのうち、見兼ねた教師が私だけの特別ルールを作ってくれました。
「ゆたはドリブルしないで、ボールを持って走っても良い」というものです。
バスケットボールのルールを根底から覆す画期的措置。こうして私は、光るマリオも真っ青の無双となったのでした。コートの端から端までボールを持って走り、ゴール下で待ち受けるクラスメイトにパス。一部クラスメイトに「ズルくね?」と言われながらも、立派に「ボールを運ぶ役目」を果たしたのでした。学校を卒業してからは、ドリブルができなくて困ったことは1回もありませんでしたとさ。めでたしめでたし。〜おしまい〜
さて、このエピソードのポイントは、私自身が「ドリブルができなくて悔しい」とは1ミリも思っていなかったことです。ボールに翻弄されたり突き指をしたりせず、平穏に体育の授業をやり過ごせればそれでOKということです。
仮に「下手で悔しい」「上手くなりたい」等の向上心があったならば、昼休みを使って必死に練習に取り組んだことでしょう。しかし、得意でもない、好きでもないことを克服するために時間を費やすくらいなら、私は図書館にこもって一人で雨月物語を読んでいたかった。
あるいは正義の大人たちは「苦手を克服するプロセスこそ人間形成に必要ダー」とか「体を動かさないで本ばっかり読んでたら、頭でっかちのろくでなしになるに違いないダー」とか喚くのかもしれませんが、人生の早いうちに苦手なことを見極めて諦めて、得意なことに注力する方が個人にとっても社会にとってもメリットが大きいのは自明でしょう。
苦手は苦手のまま、放っておきましょう。
バスケットボールが好きでドリブルが得意な人は、どうぞ自由に楽しめば良いと思う。
私はそれを否定しないから、ドリブルが苦手な私のことも放っておいてほしい。
同じように、片付けが苦手なら、散らかったまま放っておくのも一つの生き方だとは思う。
料理が苦手なら、納豆ご飯と卵かけご飯を交互に食べていればいいじゃないとも思う。
人生は有限で意外と短いっぽいので、苦手なことに悩んだり克服のために膨大な時間を費やす暇はあんまりないと思うんだよ。過去記事もご参照ください▽
苦手は苦手のまま放っておいて、「勝てそうな場所」で楽しく過ごすのがいいと思う。
明日も愉快な人生を〜