「私事で恐縮ですが、一身上の都合により7月末で退社することになりました」
少し前に、仕事を一緒にしたことがある後輩女性から「退社の挨拶」と題したメールが届きました。
いわゆるアラサー世代の彼女。
私の印象では、おしゃべりなタイプではありませんが仕事は丁寧で人当たりが良く、多部署の折衝もそつなくこなし、新規の企画も積極的に提案するなど生き生きと活躍しているように見えました。
そんな彼女からの、突然の退社メール。
「一身上の都合」としか記されない以上、外野があれこれ退職の理由を想像することは不毛です。
若い彼女が選んだ新しい道にたくさんの幸あれと願うのみです。
しかし、若い世代の「退社」のニュースに過敏に反応する人というのが一定程度いらっしゃいます。
仕事の内容や待遇に不満があったのでは?
周囲のサポートが足りなかったのでは?
どんな理由があったにせよ退社という道を決めたのは本人です。
「去り行く人」が、本当の退社理由を告げる必要もありません。外野があれこれと勝手な理由づけをして「想像上の課題」をでっち上げることにどんな意味があるというのでしょう?
こうした「他人の心中を勝手に想像して、勝手に環境の被害者を作る」ことは全くもって不毛です。
「他人の決断」に、必要以上の意味を勝手に付与するのは無駄です。
身近な誰かが転職した、起業した、結婚した、子供を産んだ、家を買った。
他人の「大きな決断」に振り回されて、「自分も転職するべき?」「やっぱり起業?」「結婚しようか」「家も買わなきゃ」なんて右往左往するのも不毛でしょう。
ただ単に、会社を辞める決断をした人がいただけ。転職を決断する人がいただけ。起業して、結婚して、出産して、住宅購入した人がいただけ。
「他人の決断」を自分の現状に重ねて一喜一憂したり、比較して焦ったりするのも不毛でしょう。
「他人の決断」は、他人のもの。
余計な想像は無駄なので、事象にいちいち勝手な意味を付け足さず、他人の問題に首を突っ込まず、自分の生活に集中するのが良いと思う。
花火はいいなあ。
明日も愉快な人生を〜