人当たりの良さに定評のある、収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です。
自己肯定感の高さにも定評があります。
さて、他者評価はひとまず置いといて、面倒なことや害悪なことを極力避けるために「人間関係に広大な緩衝地帯を持つこと」を大切にしています。そのため、他者との折衝においては基本的に「無駄な敵」を作らないようやわらかめの対応を心掛けています。
しかし悲しいかな、私の人柄の良さ(異論がある方は、お手数ですがサイドバーの問い合わせ先からメッセージをお送りください^^)につけ込んで、非常に失礼な対応をしてくる残念な人にも一定の頻度で遭遇します。
だけども大人になる過程で、そうした「嫌なやつ」に対して毅然と対応する方法はある程度、身に付けてきたつもり。過度にうろたえたり迎合したり怒りの感情を表に出したりせず、第一に「冷静さを保つこと」を心掛けています。
感情的ならないこと。相手の土俵に乗らないこと。できるだけ体力を消耗しないよう、戦わずに「距離を置く」ということ。
私がこうした「逃げるが勝ち」の低燃費な対人関係を志向するに至った原点は何だろうと振り返ってみると、思い出すのは幼なじみのSちゃんのことです。
Sちゃんとは保育園からの付き合いで、家も近かったため、小学校も中学校も一緒に登下校する仲でした。中学ではクラスが離れたものの同じ美術部に入ったので、一緒に過ごす時間がかなり長め。そうした「密」な関係の中で、煮詰まってしまったのでした。
Sちゃんは元々気性が激しいところがあり、気分屋で、少しでも気に入らないことがあると一緒に帰っていたのに一人で走り去ってしまったり、話しかけても道中ずっと無視したりと、付き合いづらい部分がありました。こうしたわがままともいえる対応はクラスメイト全員に対してではなく、「気心の知れた」私に対して特に顕著でした。
こうしたSちゃんのわがままは中学入学後、よりエスカレートしました。ほかのクラスメイトがいる場所でわざと私を無視をしたり、大勢に聞こえるような大声で私を貶める発言をしたり。
気まぐれに私を傷つけるような行動をする一方で、二人きりになると「怒った?」と甘えた声で腕を絡ませてきたり、抱きついてきたり。とにかく異様に身体的な接触の多い子で、私はSちゃんの「稚拙な意地悪」に加え、そうした異常に密なスキンシップにも辟易してしまっていました。
わざと困らせるような態度を取って母親の関心を引きたがる子供のように、私の「愛」を試していたのかもしれません。
私は割と早い頃から、中学校を卒業したら遠方の高校に進んで一人暮らしをすることを目標に受験勉強をしていたので、「近いうち離れる地元の中学校の友人関係」は本音では結構、どうでも良かった。
Sちゃんの気まぐれな嫌がらせを甘んじて受けつつ、それでも中学卒業までは毎日一緒に登校を続け、表面上は静かに日々を過ごしていました。
振り返ってみると、Sちゃんは、やはり深刻な「生きづらさ」を抱えていたように思います。
彼女の捻れた自己愛や困り感に優しく寄り添って、不当な対応にも辛抱強く耐えて話に耳を傾けてあげるのが「美しい友情」なのかもしれません。
でも、私はSちゃんの母親ではないし、友情は福祉ではありません。
私は、私を蔑ろにする人間を友人と呼べるほど懐が深くありませんでした。
その後、中学校卒業と同時に地元を離れ、遠方の高校に進み寮生活を始めました。
Sちゃんには、転居先の住所も電話番号も知らせず、地元を離れる日も知らせず、静かに引越しを済ませました。
その後、Sちゃんと私の共通の友人から「Sから『ゆたの引越し先知ってる?』って聞かれたから、教えていい?」と連絡がありました。私は「知らないと伝えてほしい」とお願いしました。
Sちゃんとは、こうして静かに縁を切りました。それから一度も会っていません。
Sちゃんの生きづらさについては、ごめんなさい、15歳の私が背負える荷物ではありませんでした。
もう二度と会うことはないかも知れませんが、成長したSちゃんが、適正に支えてくれる親切な人と知り合って、生きづらさを克服して、心穏やかに過ごしていてくれたら良いなとは思います。
でもやっぱり、不穏な人間関係は無駄に体力を使って戦うよりも「逃げるが勝ち」です。
大人になるって、素晴らしい。「楽しい場所」「居心地の良い場所」を自分で選ぶ自由を得られるのだから。
適度に逃げて、できるだけ「楽しい場所」に身を置いていたいね。
明日も愉快な人生を〜