収納しないブログ

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絶望的なゴミ溜めの中で、「言葉」という武器があったなら…映画「あんのこと」のこと。

昨日公開されたばかりの映画「あんのこと」(PG12)を観てきました。

annokoto.jp

映画の内容はネタバレにならない範囲で紹介したいと思いますが、細かい描写に触れる点があるので「まっさらな状態で鑑賞したい」という皆さまはぜひ映画館に行った後で読んで欲しいよ。

 

以下、あらすじ▽

主人公の香川杏(21歳)はホステスの母親と足の不自由な祖母と3人暮らし。幼少期から母親に暴力を振るわれ、貧困から近所のスーパーを回って食料品を万引きをしていたことが周囲にバレて小学4年生から不登校に。12歳から母親の紹介で売春を強要されてきた。ある日、覚醒剤の使用容疑で取り調べを受け、変わった刑事と出会う。彼は杏に薬物更生の自助グループを紹介し、介護施設への就職も後押ししてくれる。杏の人生に少しずつ明るい光と変化の兆しが見えてきた頃、新型コロナウイルスの感染が拡大する。杏が掴みかけた居場所やつながりは失われてしまうー。

 

片付けブログを運営していることもあり、私は映画を観るときに「登場人物の部屋の描かれ方」に注目してしまいます。

 

「部屋」は登場人物の心情や社会的立場や経済状況を映す鏡のようなもの。

杏が暮らす狭い団地の一室の、ゴミ溜めっぷりが強烈です。

貧困と暴力、薬物依存、売春。主人公が置かれた環境の異常さを可視化したのが、大量のゴミと雑多なモノで溢れた部屋なのでしょう。

 

「部屋」は、日常の積み重ねでできています。一日、一日の営みが堆積した結果が「部屋」です。杏の暮らす部屋には、日常的な暴力と否定と貧困と自暴自棄が地層のように積み重なって滞留しています。

 

主人公が、介護施設で働いて得た給料で、祖母にケーキを買って帰る場面があります。祖母は箱からケーキを手で掴んでコタツの天板に直置きし、主人公に「箸、箸」と呼び掛けます。主人公の「お育ち」を端的に表現したシーンです。「フォーク」ではなく「箸」。杏の生まれ育った環境では「ケーキを皿に載せて、フォークで食べる」という習慣がないのでしょう。孫と祖母の、数少ないほのぼのとした場面でもあるのですが、この「貧困のリアルさ」にうすら寒さを覚えました。

 

部屋の至るところにゴミが詰まったビニール袋が積まれ、リビングを占拠しているコタツの天板は食べ物の容器で埋め尽くされ、洗濯物はカーテンレールにだらしなく干しっぱなし、台所は酒と思しき空き缶が放置されて調理するためのスペースはない。

 

そして、カラーボックスにはあらゆる雑多なモノとゴミが詰め込まれているけれど、家のどこにも「本」、そして「活字」の類がないように見えます。

薬物使用容疑の取り調べ後に、杏が刑事から手渡されて持ち帰った自助グループのパンフレットが、この時点で杏が「底辺」から抜け出すための唯一の情報であり、命綱だったのでしょう。

 

小学4年から不登校になった主人公は、義務教育で習うはずの漢字の読み書きもままなりません。そんな中で、ある刑事との出会いがきっかけとなり、杏は就職や夜間学校への入学を通じて「言葉」を習得していきます。

「言葉」は生きるための武器です。自分の置かれている状況を客観的に把握して、困難な状況にあるならばそれを他者に伝えて助けを求めるためのツールが「言葉」です。

自分が置かれた状況の異常さを適切に把握するために、他者に対して適切に助けを求めるために、周囲からは見えにくい困難と苦しさに「形」を与えるために、私たちには「言葉」が必要です。

 

底辺の世界で暮らす杏は、そこから抜け出すための情報も繋がりも持ち得ませんでした。「言葉」と言う武器がない故に、自分の置かれた環境の劣悪さに形を与えることができず、適切に助けを求めることもできなかったから。

 

底辺からの脱出を決意し、一歩を踏み出した杏は、拙いながらも自分の「言葉」で日記を書き始めます。給料を手にした杏が花柄の手帳を買い、日記を綴り始める場面は、希望を感じさせてくれました。

 

ですが、作中で最終的に杏の「命綱」を断ち切り、絶望的な状況にトドメを刺したのは、善意の第三者が発信した「社会正義のための言葉」でした。

 

他者の抱える困難に、自分の想像を超えた苦しみに、私たちはびっくりするほど無関心です。

適正な「言葉」を持たなければ、存在していることすら伝わらないし、見えない。

もし、杏がもっと強靭な「言葉」を持ち、大声で助けを求めていたのなら。

 

あるいは「私たち」が、社会的な正義の立場で発せられた大きな声より、個人が精一杯で発した小さな声を受容するだけの余裕を持っていたのなら。

 

「あなたのことだよ」と包丁の先を突きつけられるような映画でした。

ミニマリスト諸子には是非、映画館で観てほしい作品です。