「片付けのシミュレーション」は、家の中にいなくても、できる。
例えば、通勤中の車の中で。歯医者で歯石取り中に。スーパーのレジ待ちの列でも。
名付けて「脳内・エアお片付け」。
例えば、キッチンの食器棚。食器の数や並べ方、キッチンマットやコースターの置き場所にいたるまで。
必要なもの、お気に入りのものだけを残していれば、
「どこに、何が、いくつあるか」を、子細に思い浮かべることができる。
「モノたちの居場所」を、スペースごとに頭の中に入れておけば、
先述のような「隙間時間」に
「脳内・エアお片付け」を、人知れず楽しむことができます。
買い物をするときにも、「この大きさの皿なら、手盛ちのあのプレートとカフェボウルをこう重ねれば、置くスペースができるな」とシミュレーションできる。
「置き場がイメージできない」状態で、「一目ぼれした」なんていう理由で新しいモノを買うなんて、無謀すぎるから。
↑これは、リアル食器棚。
4人家族で、グラス類を含む「食器」は約70種。
ぜひ、過去記事もご参照ください。
あのグラスを、こっちに並べ替えたら、もっと取り出しやすくなるのでは?
子どもたちが使っている、プラ製のご飯茶椀…そろそろ、瀬戸物に買い換えてもいいかもしれない…。
台ふきはこの際、すべて手放して、キッチンペーパー&アルコールで代替することは、できないだろうか。
さまざまなモノと配置にまつわる考えが湧いてきて、
文庫本やスマホなしでも小一時間、暇を持て余すことなく楽しむことができます。
食器棚は一例で、クローゼットや靴箱、アクセサリーケースなど
すべての収納スペースに応用できる、この「脳内・エアお片付け」。
じっさい、ゆたたんは帰省中の夫実家でも楽しんでいます。
マイホームに戻ったら、あれをこーして、こっちをこーして、
あれは手放して、これはリサイクルに…。
忘れないように、ノートの端にメモをして。
アタマの中の知識は、誰にも奪われることのない財産。
そんな「ユダヤの教え」、本当にその通りだなと、しみじみ思う。
「家の中にあるモノたちの居場所」を、覚えておくこと。
まずは、把握できる量にまで、持ち物を減らすこと。
「持っていることを覚えていない」なら、それってきっと、「持っていない」のと同じこと。
モノがある、ということは、持ち主が「ある」ことを認識していることと同義。
人間関係も、きっと一緒。顔も思い出せない人を、「友達」とは呼べないから。
「友達」と呼べるモノたちが、あるべき場所にゆったりと収まった空間。
モノにとっても、住む人にとっても「幸福」な空間。
それはきっと、大量のモノがあふれる家とは真逆にあるもの。
離れていても、思い出せる。
いつでもどこでも、脳内で片付けをイメージできる。
一つ一つのモノたちと、そんな「密」な関係を築いていきたい
そんな風に、思うのです。