収納しないブログ

持ち物を減らして収納術不要の暮らしを目指しています

無知の知、あるいは汚部屋の知。筒井康隆「澱の呪縛」は最強のお片付けブースターだと思う話。

「自分の部屋は散らかっている」という自覚こそがお片付け成功の鍵になるのではないでしょうか。

 

昨日(1月3日)夜に放送された、NHKの人気教養番組「100分de名著」の新春スペシャルで筒井康隆が取り上げられていました。

www.nhk.jp

番組自体は未視聴(あとでアーカイブを見ます)なのですが、Xのトレンドに入るなど放送直後から大きな話題でした。

 

筒井康隆作品のマイベストといえば、目の前の人の心をすべて読み取ってしまうテレパシー能力を持つ美少女を主人公にした「七瀬シリーズ」の第一弾、「家族百景」(新潮文庫)に収録の短編「澱(おり)の呪縛」です。

「家族百景」では、七瀬はテレパシー能力を持つお手伝いさんとして八軒の住宅を転々とします。彼女は超能力を使って住民の心の奥底を覗き込み、繕われた「家族」の虚偽を浮き上がらせていきます。

 

文庫版裏表紙の内容紹介が、こんな感じ▽

人間心理の心理の深層に容赦なく光を当て、平凡な日常生活を営む小市民の猥雑な心の裏面を、コミカルな筆致で、ペーソスにまで昇華させた、恐ろしくも哀しい本である

新潮文庫家族八景」裏表紙より引用)

「恐ろしくも哀しい本」、まさにその通り。全編を通して人間の暗部がこれでもかと抉り出されいく凄まじい作品です。

なかでも激推しの短編「澱(おり)の呪縛」は、異臭が漂う不潔な住居に暮らす大家族とその心理を描いた怪作です。

ちなみに「澱(おり)」とは、液体の底に沈んだカスや吐き出されず積もり溜まったもののこと。「本人たちは意識していない異臭の底で、澱むように保たれた家族の団欒」という恐ろしい主題が簡潔に表現された見事なタイトルです。

 

【注意】以下、ネタバレを含みます

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テレパス・七瀬がお手伝いさんとして住み込みで働くことになったのは、履物店を営む夫婦と11人もの子供がいる大家族、神波家。この家にやって来てすぐ、七瀬は「あらゆる部屋に、異様な臭気が立ちのぼり、それが家全体を包みこんでいること」(同38頁より引用)に気付きます。

不思議なのは、家人の誰もが家中に漂う異臭に気づいていないらしいこと。

 

七瀬は気さくな主人・浩一郎に好感を持ち、大勢の子供を育ててきた主婦・兼子の苦労に共感にも似た気持ちを抱きます。

ですが、溜まりに溜まった異臭を放つ洗濯物や、流し台の茶碗の底や箸の先にカチカチになった米粒がこびりついている様子を見て、七瀬は「普通の主婦なら我慢できる筈のない不潔さである」と呆れてしまいます。

もともとずぼらな性格だったところへ、十一人もの子供の世話をしなければならなかったため、ますます無神経になり、不潔さに対して鈍感になってしまったのだろう。(略)ルーズといえば無計画に十一人も子供を生んだことが、そもそもルーズだったのではないだろうか、七瀬はそんなことさえ考えたりもした。

新潮文庫家族八景」収録「澱の呪縛」43〜44頁より引用)

その後も、神波家のずぼらで不潔な生活様式は七瀬を圧倒していきます。

夕食には「ほんの2、3種類の調味料を使っただけのひどい料理」が大量に並べられ、

一番最後に入浴しようとすると家族全員分の垢が湯の上に真っ白に浮いており、

夜は異臭による不眠に悩まされます。

 

歯ブラシの持ち主さえはっきりと決まっておらず、洗面所にある歯ブラシのうち比較的新しそうなものを家族全員がそれぞれ選んで共用で使う始末。

朝は洗濯が間に合わず、子供たちは誰かが脱ぎ捨てた服をあさって臭いを嗅いで、さほど汗臭いものを選んで着て出掛けていきます。

子供部屋はここ一ヶ月ほど掃除をしていないのではないかと思うほどの不潔さで、机の下は綿埃の山、シーツや毛布はシミだらけ、枕カバーは油で黒光り。カビの生えた弁当箱を放置している子や、汚れた下着を丸め込んで放置している子も。

 

あまりに悲惨で不潔な様子を目の当たりにした七瀬は決心して、家から悪臭の原因を取り除こうと徹底的に掃除をします。

 

そして、見違えるほどきれいになった部屋を眺めた幼い子供たちは「わあ」と感嘆の声を上げます。ですが、七瀬はテレパシー能力で「彼らの意識に幾分かの非難の色が含まれていること」を読み取ります。

さらに大きい子供たちの心を覗くと、彼らは七瀬に対して「敵意」を抱き始めています。

その敵意の中には、自分たちの薄汚い秘密を七瀬に見られたことによる負い目、清潔さや潔癖さに対する劣等感が含まれています。

彼らは自分たち家族の不潔さに気がついたのだ。

なれあい的な家族意識、生理を同じゅうする者同士の連帯感によって、澱の如く沈潜させられていた彼らひとりひとりの、なま暖かく住み心地のよい異臭に包まれた不潔さが、今や意識の表面におどり出てきて牙をむき出しはじめ、それを告発した具体的なものこそ、(昨日やってきたばかりの十八歳のお手伝い)だったのである。

新潮文庫家族八景」収録「澱の呪縛」55頁より引用)

 

七瀬をお手伝いさんとして家に迎え入れなければ、自分たち家族の長年の習慣として染みついた不潔さを自覚することなく、疑問を持つこともなく、劣等感を抱くこともなく、臭いぬるま湯のような住居で安穏と暮らしていたのに…

 

「自分たち家族の不潔さ」に気づいた後、神波家の人々がどのような行動を取ったか(あるいは取らなかったか)の恐ろしい結末は、ぜひ小説でご確認ください。

 

彼らにとっては、「自らのずぼらさ、及び不潔さ」を自覚せずに生きる方が幸せだったかもしれません。

しかし「自分の家が散らかっている」という自覚と現実の受容なしには、片付けの動機づけはあり得ません。散らかったまま放置する選択も、より心地良い暮らしのために一念発起して片付ける選択も、「散らかりの自覚」を欠いてはスタート地点にも立てません。

神波一家にとって、七瀬は「気付き」を与える師とも言えたはずなのですが…

せっかくの「汚部屋の知」が片付けの動機になるかならないかは、個々人の判断に委ねられます。

 

「年末に始めた大掃除がまだ終わっていない」という方や「年末に片付けたのに何故かもう散らかってしまった」という方には、片付けの促進剤(かなり劇薬ですが)として筒井康隆「澱の呪縛」を心からオススメいたします。