ある朝目覚めたら、昨日まで「宝物」として大事にしていたモノへの興味関心が、電気のスイッチを切るようにパツンとOFF状態になってしまっていることってありますね。
収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です。
卑近な例では、4ヶ月ほど前にこんなことがありましたね▽
数年かけてコツコツ集めていたカプセルトイを、突然「もう要らないから捨てる」と言い出した次女。理由を尋ねると「なんか、スンってなった」と答えてきたので、母アタイは困惑した記憶があります。
思い起こしてみれば、私自身にも「なんか、急にスンってなった」体験はあります。
それは「砂肝」。
コリコリした食感が特徴の、鶏の砂嚢(さのう/硬い食べ物を消化するための器官)です。
社会人になりたての頃に焼き鳥屋で食べた砂肝をなぜか異様に気に入ってしまい、それが「やる気スイッチ」になってしまい、家でも調理して大量摂取していた期間があります。
今となっては砂肝の何がそんなに好きだったのか思い出せないのですが、
当時はスーパーに行くたびに砂肝をカートに入れていました。
適当に切って、ごま油で炒めて、塩コショウで味付けするだけの簡単メニュー。
夕ご飯は、それと缶ビールで済ませていました。黙々と砂肝を咀嚼していた愛の日々。
そんな風に週2、3回ペースで砂肝を摂取し続けてひと月ほど経った頃、急に憑き物が落ちたように「スン」となる日がやってきました。スーパーに寄っても、なんだか砂肝のパックに手が伸びない。
嫌いになった訳じゃないけれど、でもすごく食べたいとは思わない。これが「興味を失う」ということなのでしょう。砂肝を買わずにスーパーを出ました。
「愛の反対は無関心」と云いますが、これってとても残酷なことですね。
嫌いではない。好きでもない。私の人生にあなたはいない、という薄ら冷たさを含んでいます。
砂肝においては、あの一ヶ月間で、人生における絶対量を摂取してしまったのでしょう。
今では家で調理することは皆無です。たまに外食で砂肝のアヒージョ等を注文することがあるくらいで、家で調理することもありません。
嫌いになったわけじゃない。でも突然、「飽きる」ことがある。
自由で無責任な「消費者」の、気楽さ。
「飽きる」という感覚は少しずつやって来ることもあれば、ある日突然に、ぱたんとドアを閉じるように、急に「おしまい」になることもある。
洋服や雑貨や、カプセルトイやぬいぐるみや、その他の形ある「宝物」との関係も、永遠ではありませんね。
修復可能な「機能の欠損」によって手放さざるを得ないこともあれば、
「関係性の変化」によって、モノと持ち主の関係が終わることもあります。
飽きるまでの間に、精一杯の愛情を注ごう。
明日も愉快な人生を〜