聞こえのいい言葉に警戒感を抱いてしまう、収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です。
アタイが警戒感を抱いてしまう言葉の一つに「自分らしさ」があります。
「自分らしく生きるために〜」「自分らしさを取り戻すための〜」…書籍や配信等の自己啓発系コンテンツを中心に、しばしば耳にするフレーズです。
自分らしさ…何となく、フンワリ、ポワンと自己肯定感を高めてくれるような柔らかで温かい印象があります。が、「自分らしさ」とは一体、何なのでしょうか。どういった状態を「自分らしい」と言えるのでしょうか。明確に己の「自分らしさ」を言語化できる人はいるのでしょうか。
あるいは「自分らしさ」の類義語は「個性」かも知れません。
「普通がいちばん」を是として生きるアタイ。「個性」を強調されると、正直キツイのであります。松・竹・梅、3コースの鰻重が選べるなら断然、真ん中の「竹」を選びたいよ。
「自分らしく生きる」といった類のフレーズが比較的ポジティブな印象で使われがちな背景には、逆説的に「自分らしく生きられていない」と感じている人がいるという事実があるように感じます。
「自分らしく生きられていない」って、例えば「言いたいことをグッと飲み込んで我慢してしまう」とか「役職の打診を断りたいけど浮くのが怖くて引き受けてしまう」とか、色々あるかも知れません。
それらを打ち破って「自分らしく」生きようよ、とのメッセージを、件の言葉を愛用する発信者は伝えたいのかも知れません。
でもね。
結局は「言いたいことを言えない自分」こそが「ありのままの自分」だし、
「周囲から浮くのが怖くて不本意な打診を引き受けてしまう自分」こそが「ありのままの自分」なのでは?
「言いたいことを言える自分」だったら、それは「自分らしい」とは言えない状態なのでは?
「自分らしさ」ってつまり、そういうことなんじゃないでしょうか。弱い面をひっくるめての性格であり人格です。
「自分らしい自分になる〜」などと唱えて空想上の素敵な自分に寄せていくより、
「今の自分が、自分」と弱い面・悪い面も受け止めて生きていくのが自然だし快適だと思うのです。
「自分らしさ」を追求すると、生きるのがラクになるどころか、かえって疲れてしまうような気がします。
「普通がいちばん」と唱えて、快食快眠で穏やかに過ごせたらいーじゃない。
張り切りすぎずに過ごそうよ。
と、思ったりする木曜日の夜。