ミニマルに暮らしたい、と願いながら日々を生きていると、
なぜか時々やってくる「停滞期」。
捨てることが億劫になったり、妙にこまごまとした雑貨を買いたい衝動に駆られてみたり、
気づくとYouTubeを2時間見続けていたり、目は覚めているのに布団から出られなくなったり。
これを「捨て疲れ」と私は読んでおります。
疲れたら甘いもの食べて休んで。タリーズコーヒーの春メニューが、トム&ジェリーコラボで可愛いんよ…
先日、我が家の郵便受けに「不要になったミシンはありませんか?」という、買取業者のチラシがポスティングされていました。
ああ…そういえば、と思い出したのが、納戸にしまっているブラザーのミシン。
娘が保育園に通っていた頃は、毎年春に、指定サイズの雑巾(市販品にない小ぶりのもの)やお食事エプロン(タオルの端を輪状に縫い、ゴム紐を通した前掛け)を縫うために活用していました。
ですが長女も次女も小学生となり、登園グッズを手作りする必要もなくなり、ミシンを使う機会はほぼなくなっていました。
「使わないから、手放そう」
いつもの「捨てサイクル」に倣い、思い立ったら吉日と納戸のミシンを階段下に出しました。
が…その後。
買取業者に依頼したり、リサイクルショップに持ち込んだり…という「手放し」のアクションを起こせないまま、2週間近くが過ぎてしまっていました。
多分、もうミシンは使わないのに…なぜか「手放す」行動を起こすことを億劫に感じてしまっている。
時々、こういうことが起こります。
なぜだろう?と自己分析してみると、
「手放そう」と思ったきっかけが内発的ではなく、「外部からの刺激=業者からのポスティングチラシ」だった点にあるのではないかな、と感じます。
これって、企業のSNSやコマーシャルに扇動されて「モノが欲しくなる」サイクルと同じ。
「買う」と「手放す」は逆の行動だけれども、
納得のいく買い物をするためにも、気持ちよくモノを手放すためにも、
必要なことは共通しています。
それは「内発的であること」。
今はミシンを手放すタイミングではなさそう、と感じて、
本日、階段下に出していたミシンを再び納戸にしまい直しました。
日々、生きていると時々やってくる「捨ての停滞期」。そして「捨て疲れ」。
「捨てることが億劫になっている自分」に気づいたら、無理せず「手放すこと」から少し離れてみることも大事だな、と感じています。