収納しないブログ

持ち物を減らして収納術不要の暮らしを目指しています

選ぶ自由と、選ぶ責任。

子供のころは、早く大人になりたかった。大人は「ものごとを選択する力と自由」を持っていると思ったから。

働いてお金を稼いで、自分が好きな服やお菓子や本をおもうさま買って、そして好きな場所に旅行にいって、好きなものを食べたかった。

「ものごとを選択する力」を得る条件の一つは、お金だった。

自分の「好き」を妥協せずに選べるだけの、お金を稼ぐこと。

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大人になって、「ものごとを自分の意志で選択する力を持つ」ことは、好きな服を買ったり好きな場所に旅行に行ったりする以上に、暮らしの快適さを左右することなのだと感じるようになった。

 

お金だけじゃなくて、ものごとを判断する時の自分なりの「ものさし」を持つこと。

それが、「自分の意志で選択する力」の核になるということ。

 

「クラスで一番の人気者」でも、自分とは気が合わないなあと思ったら無理して取りいる必要はないし(たぶん、相手もそんなこと望んでいない)、

逆に「みんなから敬遠されている人」でも、自分と気が合うなら親しく付き合う。

「みんなから好かれているから」「みんなから嫌われているから」を、判断の軸にしないこと。多数派に、自分を寄せていかないこと。

みんなが喫茶店でアイスコーヒーを頼んでも、ひるまずホットコーヒーを注文すること。みんなが悪口で盛り上がっていても、共感できなければ反応を示さないこと。

 

どんなに小さな物事でも、日々は「選択」の連続で、その積み重ねで今日の私がある。

「選ぶ力」が及ぶ範囲は、収入だけじゃなく、家族の状況や健康、生まれた場所の物理的な条件にも左右されるから、自分が持ちうる「選ぶ力」を最大限、発動させて、心地よい暮らしにつながるだろうなという道を選ぶのがいいと思うの。

判断基準の軸を、「自分自身の快適さ」に置くこと。

それが物事を選ぶ自由ということで、選ぶ責任だと思うの。