高校生のときは、本気で松浦亜弥ちゃんに憧れていて、「あややになりたい!」っていうファンブックを舐めるように読んでいた。
桃色片思いも、めっちゃホリディも、THE美学もカラオケ行ったら必ず歌ってた。
わたしの青春のすべてには、あややがいたといっても過言ではない。
娘が生まれたときは絶対、「亜弥」って名づけると思ってたけど、夫の姓と組み合わせると画数があまり良くなかったので断念。名の一部に「弥」の文字をいただいて付けました。
そんな憧れのアイドル、あやや。亜弥ちゃんは私の2つ年下なので、ことし35歳になるのかしら。子育てが落ち着いて、また歌手として活動する日が来たら、またライブに行きたいなと心待ちにしている。
けれど、もうあのころのように、自分を「憧れのだれか」に寄せて、髪型やメークをまねしよう、とは、思わない。
アイドルでなくとも、人気の芸能人にもモデルにも美容家にもエディターにも、自分を寄せていこうとは思わない。
「あの人は、あの人」。自分ではない。
「あの人が着ている洋服」「あの人が愛用しているコスメ」…そういったものを、無批判に取り入れていこうとは思わなくなった。
雨後のタケノコのように次から次へ書店に並ぶ「人気エディター」のファッション指南本は、一時期むさぼるように読んでいた。彼女たちがすすめるブランドのショール、靴、バッグをまねして買ったこともある。
いま、「ファッション指南本」は全部、手放した。
どんなに持ち物をまねしてみても、それは必ずしも自分に似合うとは限らないから。
もちろん、「素敵だな」と思う人は、リアルな関係のなかでも、ネットの中でも、たくさん目にする。ファッションが素敵、生き方が素敵、笑顔が素敵。そういう、「他者の素敵ポイント」には敬意を払いつつ、自分と彼らを比べて落ち込んだり、むだに卑屈になったりは、もうしない。
相手のいいところは素直に礼賛して、いいなあと思ったら、その部分をまねしてみればいい。でも、まるごと彼らのようになる必要もない。
「誰か」に憧れて、まねをしてみて、自分に似合うモノと似合わないモノがあることに気づく。他者と自分の差異に気づいて、そこから、ありのままの自分を受け入れる。
まるい顔も、短い脚も、モノを捨てすぎる習性も、頭でっかちになりがちな性格も、
36歳にもなると、もはやそのまま付き合っていくしかない! と割り切ることができる。
まるい顔と短い脚に似合う服を選ぶ楽しみがあり、頭でっかちになりがちなアタマで文章を考え、モノを捨てる毎日をブログにつづる。それで、いーじゃん。
自分にとっての最適解、それが正解。
いま、いちばん使用頻度が高い、お気に入りのピアス。
「憧れの誰か」のまねじゃなく、
純粋に「ほしい!」「かわいい!」「ぜったい私に似合うハズ!」って思えるものを、他人の目を気にすることなく選んでいきたい。
おんな36歳、もっともっと自由に生きる!