収納しないブログ

持ち物を減らして収納術不要の暮らしを目指す、ミニマル志向の30代。

「収納」の前に、考えたいこと

おしゃれなインテリアショップにも、人気の量販店にも、気軽な100円ショップにも

「すっきりした暮らし」をつくってくれそうな、

さまざまな「収納グッズ」がたくさん売られている。

書店に並ぶ、お片付け本や通販雑誌には

それらのグッズを駆使したテクニカルな収納術がたくさん紹介されている。 

でも、ちょっと立ち止まって考えてみたい

 

続く片付けブームと、拡大する収納グッズ市場

「お片付けブーム」は定期的にやってきて、

生活情報誌などでは鉄板のコンテンツとして定期的に特集が組まれる。

けれど、それでも「片付かない」と悩む人がいなくなることはなくて、

だからこそ多種多様な「片付け術」が市場で求められるわけで、

「素敵な生活」の助けになりそうな収納グッズが、よく売れているのだと思う

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 「収納しない」と銘打ったブログを始めたのは、

持ち物の取捨選択をしないまま、さまざまな収納グッズを駆使して

テクニカルに収納するだけでは解決しない問題がある、と思ったから

記録として、私が「物との向き合い方」を考えるきっかけになった原体験を書いておきたいと思う 

「がらくたボックス」と化した下駄箱

田舎の広い実家には、これまた3畳ほどの広い玄関があって、

たたきの側面には、100足は収納できる大きな扉付きの下駄箱が作り付けられていた。

でも、これは「開かずの下駄箱」。

父母と妹、弟、そして祖母と曾祖母の7人暮らしだったけれど、

それら家族の靴は、いつも仕舞われることなく、たたきに脱ぎっぱなしだった。

広い玄関は、7人分のスニーカーやパンプス、長靴であふれていた。

「手放す」という選択肢

玄関に靴があふれている状態が日常だったので、

疑問を持たないまま成長した。

初めて違和感を覚えたのは、小学生になり友達の家に遊びに行くようになってからだった。

「靴であふれていない玄関」は、なんと脱いだり履いたりがラクチンなことか!

そうか、「下駄箱」というのは、

さまざまな用途の靴を適切に収めておくことで、必要な時に必要な靴を取りだし、

かつ「公共の場」である玄関での作業(脱いだり履いたり)をスムーズに行うための

サポートの役割を持つものだったのか!

…というようなことを、幼い頭で考えたのだと思う。

ある日、思い切って「開かずの下駄箱」の扉を、開けてみた。

ほこりの臭いが鼻をついた。

底の剥がれたサンダルや、白い粉(かび?)でおおわれた革靴、

妹も弟も履けない手のひらサイズの、赤ちゃん靴…

 「役目を終えた物」たちが、誰からも使われないまま、ずっとずっと押し込まれていたのだ。

そして、「今、使われている」私のスニーカーや母のパンプス、弟や妹の長靴は、

きちんとした居場所を与えられないまま、無造作に床に脱ぎ捨てられている。

「なぜ?」

詰め込まれ、朽ちるままに放置されている「寿命を迎えた靴」たちも、なんだかみじめに思えた。

それらを隠すように扉を閉めた。

下駄箱に詰まった靴たちを捨てる権限は、子供の私にはなかった。

いま、思う。

昭和20年代生まれの父も母も、そして大正生まれの祖母も、明治生まれの曾祖母も

「モノのない時代」を経験した世代。

たとえ今後もう一生つかわない靴であったとしても、

「捨てる」という行為を選択することに抵抗があったのだろう。

だから、隠すように押し込んで放置した

あの、靴たち、今どうなっているだろう

暮らしには、新陳代謝が必要

 

役目を終えたモノにきちんと向き合わず、見えない場所に「隠して」おくことを「収納」と呼んではいけない。

靴でも、洋服でも、アクセサリーでも、かばんでも

縁あって手に入れた品をきちんと愛して、たくさん使って、手入れして

そうして彼らがモノとしての役目を終えたなら、

「ありがとう」の気持ちを込めて、きちんと手放していきたい

下駄箱の原体験から、いま改めて思うことは

「暮らしには、新陳代謝が必要」ということ

さまざまなグッズを使って「収納」する前に、

考えなくちゃいけないことがある