社会のなかで自分が生きるフィールドのことを「居場所」と呼ぶことがあります。
それは例えるなら、夜桜見物の客でごった返す公園で、自分ひとりが座れる大きさの、小さなレジャーシートを敷ける場所を探す作業に似ています。
公園はすでにたくさんの人であふれていて、夕方にノコノコやってきた新参者がレジャーシートを敷く場所は限られています。
人混みにようやく見つけた隙間は、立ち上がらないと桜が見えない公園の端っこかもしれないし、ちよっと汚いトイレの横かもしれないし、騒がしい団体客の後ろかもしれません。
一等地にレジャーシートを敷いているのは、朝早くから並んで場所取りをする努力をした人か、倍率 20倍の有料席を抽選で引き当てる運のある人です。あるいは公園のど真ん中に先祖代々からの土地を持つ、財力や権力のある人もいるかもしれません。
とはいえ場所取りに出遅れた一般人が、他者の努力や運をうらやんでも仕方がないので、自分の裁量で確保できる範囲から最も良い場所を探して、素早くレジャーシートを敷くしかありません。
狭くて汚い場所かもしれないけれど、自分ひとりの場所ならきれいに掃除することもできるでしょう。
それで、そのうち花見に飽きた隣の客が帰ったら、そっとレジャーシートを広げて自分のスペースを増やしたら良いと思います。
掃除をしながらゆるゆる花見を楽しんで、それでそのまた隣の客が帰ったら、またシートを広げて自分のスペースを増やす。
そうやって根気強く座っていれば、気づくと手足を伸ばして寝転がれるくらいの広さの快適な「居場所」ができるのではないでしょうか。
この「必要十分スペース」の広さは、人によって異なると思います。
なかには、ともだち 100人を招いて宴会を開ける大きさの「居場所」を求める人もいるでしょう。あるいは自力でレジャーシートを敷く場所を探すのではなく、他者が敷いたレジャーシートに間借りする方が気楽という人もいるでしょう。
私は、ともだち 100人を招いて座れるような広さは必要ないので、ひとりで手足を伸ばして寝転がることができれば十分です。
それで、小さな自分の居場所を清潔に保ち、隣の人とお互いに距離感を保って快適にお花見を楽しめるのが楽しいと思っています。
いずれにせよ、社会のなかで自分が座れる場所を確保する、というのがスタートラインです。
指を咥えて公園を眺めていても、あなたのために一等地を空けてくれる親切な人はいないから、狭くても汚くてもとりあえず座る場所を確保することが大事。
ということを、進路について考え始めた来年受験生になる中2の娘に伝えられたらいいなと思っているママンの私です。
明日も愉快な人生をー