暑い日は、お蕎麦が美味しいよね!
そんなこんなで今年の夏も大活躍だったのが、
愛用の「蕎麦ちょこ」です。
温かみのある白色。
丸みを帯びたフォルム。
蕎麦つゆだけじゃなく、
アイスを盛ってもコーヒーを淹れても、いい感じ
そんな大好きな、あの子が…
あの子がっ…
私の不注意(洗って食器棚にしまう時に手がすべった)により
↓
ぱっりーん。
割れてしまったんだぞな、もし。
蕎麦ちょこ…
もう、10年以上の付き合いだったと思うの。
地元で開かれたクラフトフェアでみつけて、
ふたつ買ったの。
同時にふたつとも、割れてしまった。
(重ねたまま落下したため)
モノとの別れは、突然、やってくる。
「収納術不要」の暮らしを追い求める系ブロガー(何それ?)な私、
もともと、そんなにたくさん食器は持っていない
4人家族で、計70個。
↓
1枚の皿、1客のコーヒーカップ
1個の蕎麦ちょこ
それぞれに手に入れた時の思い出があって
たくさん使った日々のストーリーが詰まった
大事なモノたち。
それが、、、
跡形もなく割れて、使えなくなる。
儚い。
人偏に夢、と書いて、はかない。
しばし茫然。そして、欠片を丁寧に、新聞紙の上に拾い集める。
「一緒に暮らせて楽しかったよ。今まで、ありがとう…」
それは大好きなモノへの、弔いの言葉。
我が家の食器棚に
蕎麦ちょこ2つ分だけ、ぽっかり穴が開いたような
そんな気分を抱えながら
↑左上のふた付きポットの横が蕎麦ちょこの「居場所」でした。
喪失感と感傷を抱えながら、私は
「次」の買い物のことを考え始める。
どんな子を、我が家に迎えようかしら。
今度も白色がいい? それとも…
デザインは? どこで買う?
そう、「別れ」の次には、
「出会い」が待っているのです。
たくさん持たないからこそ、
「日常品」の買い物は
一種の「エンターテインメント」。
そして、人生をかけた戦いともいえるのです。
てきとーな店で、てきとーに選ぶなんてこと
できない。
めちゃめちゃ吟味して「選ぶ」。
「ちょっといいかも」レベルのときめきでは、買わない。
「新しい蕎麦ちょこ」が我が家にやってくるのは
一月後か…3か月後か…
はたまた半年後か、1年後か…
アンテナを張っていれば、しかるべきタイミングで、
モノとの出会いはやってくる。
「出会い」を待ちつつ、蕎麦ちょこのいない「ちょっと不便な生活」を
過ごしていきます。