泣かない子どもでした。と、いうか「上手に泣けない子供」でした。
5歳頃でしょうか。保育園での出来事が記憶に残っています。
滑り台に並んでいたら突然、同じ組のT君に「来るな」と通せんぼされました。
理由は分かりません。子どもの行動はしばしば頻繁に意味不明です。
不愉快を感じた私は、力いっぱいT君を押しのけました。
T君はよろけて転び、盛大な泣き声を上げ始めました。
飛んできた保育士は、「ゆたに突き飛ばされた」というT君の訴えを聞くなり私を叱りつけました。「先に手を出した方が悪い」との理屈です。
まあね。それはね。でもね、最初に通せんぼなんていう無意味で幼稚な意地悪をかましてきたのは、そちらでそれらしく泣いていらっしゃるT君ですよね?
そちらさんはお咎めなしなんでっしゃろか?アテが、アテだけが悪者なんでっしゃろか?
涙こそ見せていませんが、私のハートだって深く傷付き血を流していたのであります。
センセー、そこんとこWAKATTERU!?
それともT君に通せんぼをされた瞬間に、間髪入れずに「先生ぇ〜」と泣いて喚いて助けを呼べば、かの保育士は私を被害者と認定して味方になってくれたのでしょうか。「先に分かりやすく泣いた方が正義」であるならば。
私が保育園生活で学んだ重要なことの一つに「世間では概ね、タイミングを見極めて『上手に泣ける子』が『正義』を勝ち取る」ということがあります。
利害が対立する関係、例えば1対1のケンカにおいて、どちらが悪でどちらが正義かを明確に線引きすることはできません。保育士が「盛大に泣いている方を被害者」と認定したのは、ある意味で公平な判別の仕方なのかもしれません。
成長するにつれ、「権力の前で上手に泣ける子」が得をしがちという社会の実態も見えてきます。学校でも会社でも地域でも「組織の中で力を持っている人の前で上手に泣けること」(比喩です)は処世術になり得ます。
でもね。積極的に「被害者ポジション」を取りに行って、「えらいひと」の庇護を乞いて生きるのださくないですか。
「上手に泣ける子」の、毎晩鏡の前で練習しているのではと勘ぐりたくなる程の華麗なる泣きっぷりに興醒めしてしまうアタイです。
なんかお寺の境内が梅雨仕様に飾り付けられて綺麗でした
積極的に「被害者ポジション」を取りにいく人とは距離を置きたい私です。
いわれなく「加害者」に仕立てられて、損害を被るのはごめんです。
逃げるが勝ち、を心に刻もう▽
明日も愉快な人生を〜