「形のないモノ」に、お金と時間を使いたい。
収納しない系お片付けブロガーの優多です。
先日、会社帰りに一人でピアノのコンサートを聴きに行ってきました。
4月上旬にチケットを確保し、ずっと楽しみにしていたピアニストの演奏。
開場まで少し時間があったので、
劇場近くのロイヤルホストに入り、グラスビールとコスモドリアで軽めの夕食を取りました。
ディナーの時間には早い、まだ明るさが残る時間帯に、空いたファミレスの窓際席で飲むビールはこの上ない美味しさ。コスモドリアの栗は甘く、海老は可愛い。
お腹が適度に満たされて、
おそらく同じコンサートに向かうの波に混じって劇場まで歩きます。
少しずつ、日が暮れていく。
座席で、開演を待つ時間が好き。
リアルのコンサートは「一回限りの体験」で、その圧巻の1時間半を瓶詰めにして保存することはできません。
一期一会だから、全身を耳にして、聴くことに集中します。
圧巻のラ・カンパネラが終わって、
スタンディングオベーションがあり、
演者が手を振ってステージから去り、
後には「形のあるモノ」は、何も残りません。
ほわほわとした、優しく柔らかい「気分」が、体の中に残るだけ。
でも、この「気分」はおそらく、私の中に「良き体験」として消えずに残って、苦しい出来事や悲しい出来事に遭遇した時に、「武器」または「お守り」のように助けてくれるものだと思うのです。
形には残らなくても、体験を通して得たモノは、いつでも取り出して、「使う」ことができます。
管理できないほどたくさんの「モノ」に囲まれているよりも、
質量のない「体験」をたくさん重ねていきたい。
そのために、モノは少なく、身軽に動ける状態を維持していたい。
「体験」に、躊躇なくお金と時間を使えるように。