同居家族と「片付けの価値観」が合わないと、とても辛いですね。
おこんばんは、収納しない系お片付けブロガーの優多(ゆた)です。
自分自身が「できるだけモノを減らして身軽でいたいミニマリストタイプ」だった場合、同じ家に暮らす家族が「モノが溢れていても気にならない、モノを捨てられないキシマリストタイプ」だと、とてもストレスが溜まりそうです。その逆も、然り。
先日の京都ひとり旅で泊まったホテルのロビーがいい感じのミニマルさで素敵でした。
私の生まれた家は、居住空間にも収納スペースにもモノが溢れていました。
小学生の頃から、私は家中の不要なモノを捨てたくて、捨てたくて。だけど「子ども」の私には、勝手に家のなかのモノを捨てる決定権はなくて。
「早く自立して、自分の好きなように空間を整えて、快適に暮らしたい」と思いながら過ごしていました。
「モノで溢れた実家」にまつわる詳細は過去記事に▽
高校からは寮生活を始めて、中学校卒業と同時に実家を出ました。
実家の両親との関係はとても良好ですが、「片付けの価値観」が合わないので、一緒に暮らすのは難しかった。同居していたら、「片付けする、しない」を巡って日々、衝突が絶えなかっただろうなと想像します。
「片付けの価値観」が合わない人と暮らすのは、難しい。
配偶者と「片付けの価値観」が合わない場合は、どこかで折り合いを付けて、例えば「それぞれに個室を設けて、リビングには私物を置かない」などのルールを定めないと、往々にして「片付けたいタイプ」の側がストレスを溜め込むことになりがちです。
「片付けなくても平気なタイプ」の側だって、「片付けたいタイプ」の配偶者に毎日のように「片付けて!」「物を減らして!」と言われ続けるのは楽しくないでしょう。
友達ならば、「片付けの価値観」が合わなくても、全く問題ない。
だけど、同居家族の場合は、ちょっと難しい。
両親のことは大好きだけど、一緒には暮らせなかった。
これからも、きっと一緒には暮らせない。
「実家の家族と片付けの価値観が合わなかったこと」が、私の自立心を育んでくれたのだと思うと、寂しいような有り難いような、ちょっと複雑な思いがあります。
価値観は、人それぞれだから。
家族とは、お互いの「片付けの価値観」を尊重できる距離を保って過ごしていくのがいいと思う。
そんな、月曜日の夜。