収納しないブログ

持ち物を減らして収納術不要の暮らしを目指しています

「一生懸命さ」は、美徳か。

何もないリビングの床、

好きよ。

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仕事、育児、家事に趣味。

「ものごとに対して一生懸命になれる」というのは、

美徳だと思うよ、私。

寝食を忘れて没頭できる物事があるっていうのは、幸せなことでもある、と思うよ、私。

 

調理実習の授業を円滑に進めるために、

家で徹夜でシュークリームを試作していた、素敵な家庭科の先生を知っている。

美味しいものを作るのに、夢中になること。

寝食を忘れて没頭する何かがある、って、幸せなことだよね。

断言する。一生懸命さは、美徳だ!

 

だけれども。

その自発的な「一生懸命さ」に、他者からの評価や賞賛を求め始めたらそれは、

つらくなるよね。

一生懸命さは、それだけで「対外的な価値」を生むとは、限らないから。

 

「一生懸命」煮込んだスパイスカレーが、おいしいとは限らないし、

「一生懸命」描いたマンガが、ヒットするとは限らないし、

「一生懸命」育てた子供が、母親に感謝してくれるとは限らないし、

「一生懸命」打ち込んだ仕事が、売り上げにつながるとは限らない。

 

適度に手を抜いたモノのほうが、

対外的には受けたり評価されたり、することだって往々にしてある。

 

だから、「一生懸命であること」は、

他者からの賞賛のためではなく、100%自分のために。

 

家を片付けるのも、

レシピ本をみながら料理をつくるのも、

自分が楽しいから、やる。

 

「あなたのために」頑張っている、という気持ちが生まれたら、つらくなる。

 

だから、正確にいうなら、

「一生懸命さ」は、「自分のために」発揮している限りは、美徳だ。

と、思う。