衣類やら化粧品やら本やら雑貨やら、家にある「もう使わない」「ときめかない」と判断した品々を狂ったようにゴミ箱に詰め込んで口をぎゅっと縛って家の外に放り出しても、なんだか心の底からスッキリできないことって、ありませんか。
わたしは、よくあります。
いろいろ捨ててすっきりしたはずなのに、なぜか心ここにあらずな感じでぼーっとしてしまって、何もない階段を踏み外して足首をくじいてみたり。
そんな、すべての行動が空回りしがちな「暮らしの歯車が妙に噛み合わない時期」。
モヤモヤの原因は、「物」ではないのかもしれない。
捨てたいモノ、手放したいモノは、家の中にある形のあるものではなく、目に見えない、もっと別のものだったりする。
例えば人間関係とか、怒りや焦り、妬みといった昏い感情とか。
そういう「モヤモヤ」が根本原因の場合、いくら大量のモノを捨てまくっても、心は晴れない。心に靄がかかったまま、ごみ袋を片手に物の「要不要」を判断してみても、うまくいかないこと多々。「本当に大事なもの」まで勢いでごみ袋に突っ込んでしまう可能性もあるから、危険。
また、逆の現象もある。
衣類やら化粧品やら本やら雑貨やら、店先に並んでいるありとあらゆる物に妙に心がひかれて、取りつかれたように財布を開いてしまう時期。
「なんで、これ買った?」という品々が、紙袋のまま取り出されることもなく部屋の片隅に1週間以上放置されていたりとか。
そういう時は、本当に心から欲しいモノは別にあって、「店で買える物」たちは、そういう心の隙間を埋めるための代替手段になっていることがある。
でも、どんなに「代替」で埋めようとしたって、本当に欲しいモノを自覚して手を伸ばさない限り、心から満足する日はやって来ない。
この場合の「本当に欲しいモノ」も、往々にして目に見えなかったり形がなかったりして、「これが欲しい」と明言することが難しいケースがある。
それは、育児と家事と仕事から離れてゆっくりコーヒーを飲む時間だったり、ちょっとハードだけれどチャレンジしてみたら絶対に楽しい仕事だったり、「いつかやりたい」と思い続けたまま育児や仕事で多忙といった理由をつけて先延ばしにしていた趣味だったり、する。
ちゃんと「本当は私はコレがほしい」と言葉にして、それを手に入れるために何かしらのアクションを起こさない限り、謎の物欲(物質的な意味で)が収まることはないし、むしろ飢餓感が強まるばかり。
異常にモノを捨てまくっているけど、全然スッキリした感じが得られないよ。
とか、
異常にモノを買いまくっているけど、ちっとも満足感が得られないよ。
とか、いうときは。
「本当に手放したいモノ」は、何なのか。
「本当に欲しいモノ」は、何なのか。
ゆっくりお風呂に浸かりながら考えてみる必要がある。
はい。
私も捨てます。あれとあれ。
そして、手を伸ばします。あれとあれ。
躊躇なく手放して、そして貪欲に楽しいコトを手に入れていこう。