先日、インスタを見ていたら、どこかのハウスメーカーさんの投稿だと思うのだけれど、ちょっと気になる(微妙な意味で)画像があったのです。
コンクリート打ちっぱなしの広々としたスペースに、オープンタイプの作り付けの棚があって、隣にベーシックなデニムとシャツらしきものが引っかけてある。棚には布張りのバスケットと細長いボトルがいくつか置いてあって、どうやらこれはとある家(おそらくモデルルーム)の洗面台っぽい。紹介欄には「生活感のなさ」をPRする文章が。
それだけ見れば「まあ、おしゃれなおうち!」なのでしょうけれども、私が気になったのは、その「洗面所」なるスペースに、洗濯機がなかったことなのです。
そして、洗濯機がないだけなら「どこか別の場所(ベランダとか廊下とか?)に置いてるのかな」と考えることもできたのだけれど…その部屋の片隅には、洗濯機を置くための「土台(防水パン)」が、しっかりと置かれていたんだよね。
それってつまり、「生活感のない家」を写真上で演出するために、あえて生活感の塊のようなアイテム(家電)を除いて撮影した、ってことだよね。
モデルルームだから、ある程度は「夢を見せる」演出は必要なのだと思うけれど…
持ち家の購入を考えるような世代、つまりファミリー層にとっては、洗濯機は必需品でしょう。衣類を毎回手洗いしたり、定期的にコインランドリーに通うなんて、どう考えても現実的じゃない。
洗濯機は生活必需品で、だからこそ画像の(たぶん)モデルルームにも、防水パンは設置されていたのだと思う。
ふと目にした1枚の画像に、不思議なくらいモヤモヤとした気持ちになった。
これは自戒を込めて書きたいと思うのだけれど
「生活」にある程度の家電は必要だし、暮らしをメンテナンスしていくためには料理家事掃除といったあらゆる家事に伴うもろもろの道具だって必要だ。
それら生活に必要な品々を排除して「生活感のない家=おしゃれで素敵」みたいな幻想に酔うことの不毛さよ!!
生活しているんだもん。
「生活感」があって、当たり前じゃないか!!
胸を張って洗濯物を干すぜ!!
写真をちょこっと加工しているのは許してね!!
とかく「生活感がない=おしゃれでハイセンス」といったイメージで捉えられがちだけれども、あんまりそれに縛られるのもなんだかなという感じはしますね。
ミニマリストさんのがらーんとした部屋だって、突き詰めれば「生活必需品」を凝縮したスペースなわけだし。余分な装飾がないだけで。
決して「生活感」は悪ではないし、ミニマルで機能的な暮らしと相反するものではない、と思うのです。
そして、ふと思い出すのは、田舎の祖父と祖母が住んでいた小さな古い家のこと。
「おしゃれ」とは程遠い、「生活」のかたまりのような家。
みかんの缶詰の空き缶に、庭の畑で育てたダリアの花を飾っていた。
まちの金物屋で買った壺を、調味料入れにしていた。青い壺が塩で、赤い壺が味噌だった。
近所の工務店の名前がでかでかと書かれたカレンダーが壁に飾ってあった。
「暮らす」って、こういうことだと思うんだ。
小さな日々の積み重ねが「味」になって、人生になっていく。
目的と手段を間違えないように。
「生活感」は、決して悪じゃない。