「捨てて後悔したこと、ないの?」
会社でも家でも「いらない」と判断するや躊躇なくモノを手放す私。
少なくない人から、上記の質問を受けます。
結論からいうと、
捨てて後悔したことは、ほぼないです。
モノを手放す段階で、その「モノ」との関係は「終わり」を迎えていると思っているので、手放したモノへの執着はない状態。
例えば服なら、手放す際に、その服を着て行った旅行なんかの思い出がよみがえってちょっと涙( ;∀;)を浮かべることはありますが、
去っていった服に対して「もったいなかった」と思うことはないです。
「ありがとう」と思いを込めて、その服を手放したら、
「次いこ!次!」なのです。
なくても、何とかなるのです。
「今、本当に必要な」新しい服と、新しい関係を築くのです。
さて、
この「捨てたら後悔するかも」の心理。
なかなか「働き方の効率化」が進まない、日本社会(てか、会社?)にもリンクする部分があるなあと思うのです。
上司の許可を得るのにいちいちハンコが必要だったり、
書類をファクス(なんなら郵送・・・)でやりとりしたり。
「紙」第一主義からなかなか抜け出せない。
今までやってきたことを、ガラリと変えるのには勇気がいる。
「やってみて、後悔したら、どうするの?」
って、感じ?
こうした前例踏襲主義から抜け出すには、相当な環境変化がないと、無理なんだろうな~と、思っていたら。
ここのところの、コロナ騒動。
一気に、社会が、会社が、変わりそうな予感!
コロナ騒動の関連で、私の職場でも3月の歓送迎会が中止になったり、異動前の研修会が中止になったり。
「不要不急の催し等は、自粛!!」の掛け声のもとに、
さまざまな会議、集会が軒並み中止・延期になっています。
そして、小学生のいる家庭や、業務によってはテレワークやスライドワーク、時短勤務が拡充されたりと、強制的に「働き方改革」が広がっています。
「劇的な環境変化」をもたらしたのが、目に見えないウイルスだというのが皮肉なことですが・・・。
ゆたたん書斎だよ
↓
そもそも、全員で顔を合わせる「会議」が必要?
レジュメを読み上げるだけの「研修」に、意味はある?
みんなを疲弊させる、通勤電車。
「見たよ」の印でしかない、ハンコ。
字がかすれがちな、ファクス。
みんなみんな、「それって必要?」と問い直す、いいきっかけでもあると思うのです。
「これまでのやり方を、変えるかどうか」を考えるもなにも、
強制的に「仕事のやり方」を考えていくしかない。
ビジネスとして生き残っていくためには。
持ち物だって、そうなのかも。
「捨てて後悔」することって、思うほどない。
むしろ、盛大に持ち物を減らすことで
「部屋が広くなった」「掃除がラクになった」「気分がすっきりした」など
ポジティブな面に気づくきっかけになるのでは。
むしろ先日からの買いだめ、買い占め、転売騒動の中で、
トイレットペーパーすら、「なくても平気じゃん」
って思えた人が、いたのではないの? さすがに、いないか?
終わりの見えない「コロナ騒動」ですが、
日本がさまざまな面で「効率化」の大切さに気付く、転換点になるのではないかと思っています。
「不要不急の外出」を自粛して、家にいる時間が増えた人も多いと思う。
家の中のあちこちを点検して、
「不要不急のモノたち」を手放すべきか残すべきか、
じっくり考えてみたい。